梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・13

三 言語の習得
 ソシュールに従えば、言語の習得とは、個人が概念と聴覚映像との連合した「言語」(ラング)を脳中に貯蔵することを意味する(「言語学原論」) 
 これに対して、言語過程観における言語の習得とは、素材とそれに対応する音声あるいは文字記載の連合の習慣を獲得することを意味する。言語の習得は、貯蔵ではなく習慣の獲得であり、このような連合を緊密に保持する努力である。例えば、小児が四本足の動物を「ワンワン」と教えられたとする。この時、小児は、この動物と「ワンワン」という音声の連合を教えられたのであり、このようなことを繰り返すことによって、この小児は、この動物を指す必要が生じた時は、これを直ちに「ワンワン」という音声に連合させる習慣を獲得するのである。これが言語習得の第一歩であって、それは、物と音声との連合したものを脳裏に貯蔵したのではなく、物と音声との連合の習慣を獲得したのである。厳密にいうならば、言語過程に習熟させられたのである。楽譜の記載に従って、直ちに音の高低が表象され、自らピアノの鍵盤に指が動くようなものである。過程的な習熟であるがゆえに、ある場合には、物を見てもそれに連合すべき音声を忘れたり、音声を聞いても物を思い出せなかったりすることがあるのは当然である。「白」を言い表そうとして「クロ」といったりするのは、不用意に連合を誤ったのであって、もし概念と音声表象との連合したものが脳中に貯えられているとしたならば、そのような現象は絶対に起こりえないことである。
 言語に対する習熟は、過程的連合の習熟であるが、言語の過程的構造は、つねにAに対してBを喚起するというような一定した単純なものばかりではなく、種々な過程的構造があって、表現目的の相違に相応して、種々な過程的構造にも習熟する必要がある。簡単な例でいえば、人と対談する場合には、音声を明瞭に、速度も過不足なくすることが大切であり、それは、その場合の習慣によってできることである。敬語を適当に使用することも同じである。あるいは、同一事物を時と場合によって異なった言語として表現することも必要である。これら言語のあらゆる場合の表現に応じるためには、いかに多量の「言語」(ラング)を脳中に貯蔵しても何の用もなさない。言語過程のあらゆる段階に対する(例えば、音声的文字的段階等)過程的な熟練ということが必要とされなければならない。 言語過程に対する習熟ということは、要するに言語の主体的表現行為に属する問題であって、言語表現の根本を支配する生命力の機能である。
 言語の習得は、言語過程に対する習熟を意味するのであり、それは主体的表現行為の実践によってのみ可能である。それが単なる語彙の記憶的蓄積でないということは、国語教育の基礎的理念でなければならない。
 言語の習得は、言語過程の習熟であるが、言語過程の諸構造は、言語主体の表現の目的、及び言語に対する価値意識と、それを実現するのに必要な技術を俟ってはじめて成立するのである。次に、この問題について述べる。


【感想】
 言語を習得するということは、概念と音声の連合・「言語」(ラング)を脳中に貯蔵することではなく、言語過程に対する習熟を意味するという著者の見解がたいそうおもしろかった。
 人間が言語を獲得するためには、ほぼ1年という時間が必要である。乳幼児ははじめ「泣き声」で自分の気持ち、要求を表現する。その音声に親も「音声」(多くの場合、幼児語)で応じる。「泣き声」自体に意味はないが、その音調を聞いて、親は乳幼児の気持ち、要求(状態)を理解(喚起)し、必要な世話をする。その世話が功を奏せば、乳幼児は満足し、以後、親の音声を傾聴する。やがて「泣き声」は「喃語」に発展し、親はその「喃語」に音声、表情等で応じる。その音声を聞きながら、乳幼児は母国語のリズム、抑揚等を感知する。さらに「喃語」の中に「ジャーゴン」(メチャクチャ言葉)が現れ、それに対しても親は音声(オウム返し、幼児語等)で応じることを繰り返す。この習慣が言語過程であり、ほぼ1年間の習熟によって、はじめて「ワンワン」「マンマ」などという「言語」(習慣)を習得するということである。 
 それでは、1年たっても言語を習得できなかった乳幼児の場合、その原因は何だろうか。著者の考えに従えば、まさに(脳の働きではなく)「習慣の不足」ということになる。多分、親が、性急に言語(概念と音声の連合)を脳中に貯えさせようとしたか、乳幼児との「言語過程」の重要さに気づかず、その習慣を怠ったか。
ちなみに、著者の「言語過程」とはどのようなものか、再確認すると以下の通りである。


私の言語過程観(最も基本的な形式)を図示すると・・・・・。
《話者の遂行過程》
・第一次過程:素材(具体的事物・表象・概念)→概念
・第二次過程:概念→聴覚映像
・第三次過程:聴覚映像→音声
・第四次過程:音声→文字
*空間伝達過程
《聴者の受容過程》
・第四次過程:文字→音声
・第三次過程:音声→聴覚映像
・第二次過程:聴覚映像→概念
・第一次過程:概念→素材(具体的事物・表象・概念)


 この「言語過程」を習慣化し、習熟することが「言語の習得」につながるということである。それは国語教育の基礎的理念であり、そのためには言語主体の言語に対する価値意識と、それを実現する技術が必要とのことである。興味をもって次節を読み進めたい。
(2017.9.13)