梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「旅はまだ終わらない」(かんじゅく座・第16回公演)

 オンラインで、かんじゅく座第16回公演「旅はまだ終わらない~ステージ4から這い上がった男の物語~」を観た。この芝居の中心人物、「みやじまとおる」は、「人生の勝ち組を誇る老年の男性」だが、彼の「旅」も、彼の「病気」(大腸がん)と同様にステージ4にさしかかったようである。
ステージ1は、言うまでもなく銀行マン時代。彼は有能なビジネスマンとして猛烈に働いた。有能であるだけに、業績の上がらない部下がもどかしくて怒鳴りつけ、時には土下座までさせる始末、部下は耐えられずに辞めていった。しかし、彼はいっこうに意に介さない。おそらく、家庭でもワンマンを貫き、妻や子どものことなど思いやる気持ちなどなかったであろう。
やがて定年退職を迎え、ステージへ2へ・・・。だが彼は絶望する。ある医師からステージ4の大腸がんを宣告されたからだ。でも、もちまえの精神力で彼は全国の医療機関を調べあげ、有能な医師に身を預ける。さすがといおうか、薬石効あって1年後には寛解した。彼はその闘病記録を「がんを超えて生きる」というタイトルで出版した。その本は大反響となり版を重ねる。彼は編集者から勧められ、ツイッターでがん患者の相談を受けることに・・・。ステージ2でも「みやじまとおる」は有能さを存分に発揮したと思われたが、その本の読者の中には、彼の銀行マン時代を知っている部下もいた。そのツイッターには「勝ち組を誇って、また印税で稼ごうとしている、いい気なものだ」といった非難も含まれていた。「少しでも誰かの役に立ちたい」と思っていたが、自分の思うようにはいかないことを痛感する。事実、彼は本の中で、彼にがんを宣告した医師を名指しで公表したので、医師は(マスコミからの取材にいたたまれず)、離島の無医村に逃れていった。
 ステージ3は、これまでの過去をめぐり、自分の失敗と向き合う旅だ。まず、かつて辞職に追い込んだ部下「さたけみちあき」が働いている山奥のパン屋へ。顔を隠して、そこの従業員として住み込む。新米としてパン作りの修行に励むが、今回は体力が伴わない。しかし、店主や他の従業員は「いやな顔一つせず」見守ってくれる。1週間で、彼の正体は「さたけみちあき」にばれたが、部下はとりたてて言及しなかった。この店、山奥の村では、誰もが尊重しあい、お互いに必要として生活していることを知る。店に出入りする
村の牧師は、腕に墨の入った前科者だが、刑務所で聖書を学んだという。「みやじまとおる」は休暇をもらって、離島の無医村に逃れた医師を訪ねる。医師は90歳を超えた看護師と診療所を守っていた。島の人々からは必要とされてる存在で「生き生き」とした様子を確認する。その島もまた島民同士が支え合って暮らしていた。
また、かつての同僚に誘われて、公園のホームレスを支援するボランティアに行ったこともあった。食糧のパンを提供したが、彼らが元銀行マンだとわかると、ホームレスはパンを投げ返して怒鳴り散らした。「銀行は許せない。帰ってくれ!」。「負け組」は決して「勝ち組」を許さないことが暴かれたひと時であった。久しく怒鳴られたことのなかった「みやじまとおる」は、問答無用で父から怒鳴られた少年時代を思い出す。どれくらいの時間がたったのだろうか、山奥の店に戻った「みやじまとおる」は、はじめてパンを焼き、店主に試食してもらう。OKが出て思わずガッツポーズ、従業員一同の温かい拍手に包まれた。店主いわく「私の妻はがんで亡くなりました。その寂しさを忘れるために自然酵母のパン屋を始めました。あなたも家族のもとに帰ったらどうですか」。
 舞台は終幕間近。出演者一同の合唱が始まる。


「おびえていたあの頃 きこえぬふりをしていた 愚かないとしい我らは 前しか見えない時代の迷子 思い上がりはときおり背中を押してくれても 鏡の向こうの自分は 運がよかっただけの旅人 向かい合う奴がいた 背を向ける奴がいた 何も言わないまま去った奴もいた けとばした小さな欠片も すべてはこの道になる 空も鳥も風もやさしく見下ろしてくれていた かすかな吐息を水面にのせて 今流れ出すひびきあう鼓動 どこまでも旅は終わらない 気づけなかったことがある 気づきたかったことがある どこまでも旅は終わらない、気づけなかった人がいる 気づきたかった人がいる どこまでも旅は終わらない」


 そしてステージ4。「みやじまとおる」は家に帰った。「おうい、ゆうこ、帰ったぞ」と呼び掛けても誰もいない。家の中は真っ暗・・・。様子がおかしい。「ゆうこ ゆうこ」と妻の名を呼ぶ。やがてふらふらと現われた「みやじまゆうこ」、手に昔のアルバムを持っている。「あらあなた、今日は早かったですね」と言うなり、その場に崩れ落ちた。思わず駆け寄って抱きかかえる「みやじまとおる」。今の今まで、家を顧みなかった「有能な」男「みやじまとおる」の《第四の人生》がこれから始まるのである。認知症を発症した「ゆうこ」への「老々介護」という「旅」が・・・。


 作・演出の鯨エマ氏が「今回は、座付き作家にあたる私の書いたプロットに、座員たち全員で、ああでもない、こうでもないと経験に即したエピソードを入れながら、物語を紡いでゆきました」と書いてあるとおり、《60歳以上のシニア劇団》らしいエピソードの数々が、曼荼羅模様のように織り込まれていて、見応えがあった。 
 出演者を数えると、「みやじまとおる」の家族7人をはじめ、元同僚、元部下、パン屋、従業員、牧師、医師、看護師、公園の住人、編集者、記者等々が21人、合計28人であった。驚くべきエネルギーの結集である。
 「気づけなかったことがある 気づきたかったことがある」「気づけなかった人がある 気づきたかった人がいる」。そうである限り、「かんじゅく座」の旅はまだ終わらない。
私自身は、「さたけみちあき」がパン屋で働く山奥の村、そしてがんを宣告した医者が逃れた離島の、人々に会ってみたい。そこはもしかしてユートピア、どこにあるのだろうか。
(2023.6.26)