梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・芝居「越中山中母恋鴉」(鹿島順一劇団)

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成21年5月公演・九十九里太陽の里〉                                      今日は座長・鹿島順一、54歳の誕生日、といっても特別な趣向があるわけではなく、強いて挙げれば、芝居の主役を三代目・虎順と交代 したくらいであろう。外題は「越中山中母恋鴉」、どこの劇団でも定番にしているポピュラー(通俗的)な演目だが、この誰にでもできそうな月並みな役柄・浅間の喜太郎を、斯界きっての名優・鹿島順一がどのように演じるか、私にとっては興味津々、胸躍らせて馳せ参じた次第である。 ゴールデンウィークの中日とあって、施設は「大入り満員」、劇場も「ほぼ満席」状態,赤子の泣き声、食事客の私語、従業員の立ち歩き等々、「騒々しい」雰囲気の中での舞台であったが、出来映えは「お見事」という他はなく、通常は1時間半かかるところ、今日は55分で閉幕、まさに「綺麗に仕上がった」典型というべきであろう。(観劇専門の劇場でない場合、観客の集中度が不足している場合、早々に芝居を終わらせるのが、この劇団の特長であり、だからといって、その出来栄えが(時間に)左右されることがないというのも、また、この劇団の特長なのである)
 この芝居、「瞼の母」の兄弟版という筋書きで、幼い頃、生き別れとなった母を訪ねる兄弟鴉の物語。といっても弟はヤクザ同士の出入りですでに落命、白布に包まれた「骨箱」という姿に変わり果てている。いまわの際に「おっ母さんに、会いてえなぁ・・・」といって事切れたとか。兄の喜太郎(座長・鹿島順一)は、その思いを遂げてやりたいという一心で、ここ越中山中までやってきた、という場面。通常(の劇団)なら、白布に包まれた「骨箱」を胸にぶらさげて(位牌の場合は胸に隠して)登場する段取りだが、今日の舞台は違う。さりげなく人目に晒されないよう、縞の合羽と三度笠で覆い隠しながら、「新吉(亡弟の俗名)よ、もうすぐおっ母に会えるかも・・・」と話しかける時、はじめて真っ白な「骨箱」が露わになるのだ。名優・鹿島順一の手にかかると、この「骨箱」は単なる小道具を超えて、魂の吹き込まれた「登場人物」にまで「変身」してしまうほどである。 生母(春日舞子)に再会したのは二十年ぶり、「たしかに私には二人の子があった。名前は喜太郎と新吉・・・」という生母の話を聞いて、「今度こそ間違いない・・・」と「小躍り」する喜太郎の風情は絶品、にもかかわらず、なぜか「けんもほろろ」の応対に加えて、その大切な、大切な「骨箱」まで、えんぎでもない!と庭に抛りだされる始末。汚れてしまった「骨箱」の砂や泥をていねいに、ていねいに拭き落とそうとする喜太郎の姿、それを見つめる生母の「動揺」が「一幅の屏風絵」のように鮮やかであった。
 覆水は盆に帰らず、この「仕打ち」によって、喜太郎は「生母との離別」を決意する。「あれほど慕っていた弟を、『えんぎでもない!』という一言で捨て去るとは・・・」
その悔しさ、憤り、言いようのない絶望感の描出は天下一品、以後、「骨箱」は喜太郎の胸に「しっかりと」抱かれて(吊るされて)、やさしく、温かく縞の合羽に包まれることになった。
 生母、妹おみつ(三代目虎順)の「窮地」を救ったあと、喜太郎がおみつに話しかけた。「いつもなら、君が私の役をやるところ、今日は私の誕生公演、主役を譲ってくれてありがとう。でも、久しぶりで、緊張のしっぱなし。セリフもとばしとばしで、どうもスンマセン」と言って、生母にまで謝った。とはいえ、それは一時の「息抜き」(アドリブ)、再び「骨箱」を抱きしめると、「それじゃあ、ごめんなすって!」という言葉を残し、一目散に(生母、妹を「一瞥もすることなく」)退場する「寂しげな風情」は、名優・鹿島順一の実生活・生育史を踏まえた演技の賜物であり、並の役者には到底及ばない「至宝級」の舞台姿であった、と私は思う。
通常の劇団なら、座長の「誕生日公演」、ケーキやプレゼント、御祝儀が飛び交う「賑々しい」雰囲気に包まれるのだが、そんなこと(誕生日イベント)には「いっさい無頓着」、「私如きの誕生日など、お客様には、何の関わりもないこと」と言って、普段通りの舞台を務める姿勢が、何とも「潔く」「晴れやかで」、さすが実力ナンバーワン・「鹿島順一劇団」(別名自称・「劇団・火の車」)の面目躍如、という(誕生日)公演に心底から満足・納得した次第である。
(2009.5.3)