梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・2

【要約】
 ここまでは、「第一章 序品」の冒頭部分であろう。登場するのは、仏(=世尊)と、一万二千人のビク(出家修行者)、学修中、学修修了者が二千人、ビクニ六千人、さらにボサツが八万人、帝釈と二万の天子、四人の四天王と一万の天子の仲間、自在天子と三万の天子の仲間、梵天王らと一万二千の天子の仲間、八つの竜王と各々の百千の若干倍の仲間、四つのケンダッパ王と各々の百千の若干倍の仲間、・また四つの阿修羅王と各々の百千の若干倍の仲間、四つのカルラ王と各々の百千の若干倍の仲間、またイダケの子である阿闍世王と百千の若干倍の仲間である。要するに、一人の仏(=釈迦牟尼仏)に対して、数十万の弟子たちが、霊鷲山に参集し、その教えを聞くという場面からスタートする。
 弟子たちは「各々仏の足許に礼拝してから、退いて(その会座の)一隅に座る」。そこで仏は、聴衆に向かって《大乗経典》を説いた。そのあと、仏は「両足を組む結跏趺坐に入られ(その座禅の最高の)(無限の奥深い意義の基礎)という名の三昧に入って、身体も心も一切動揺しなかった。」このとき天から曼荼羅華、曼珠沙華の花びらが雨のように散りかかり、大きな地震が生じた。その異変に一同は歓喜し、合掌して仏を一心に見つめた。すると、仏は「眉間のところにある巻き毛から、光を放って、東方の一万八千の世界を照らされた。」その光は全世界に行きわたり、そこに生きているもの、修行しているもの、また「多くの仏の完全円満な入滅」、「仏の遺骨をもって、七種の宝に飾られた塔の建てられる」様子を照らし出した、ということである。
 ここで強調されていることは、一つに、釈迦牟尼仏を師と仰ぐ弟子たちの多さ、二つに、釈迦牟尼仏の教えの尊さと偉大さであろうか。教えとは《大乗経典》であり、まさにこの(これから述べられる)「法華経」に他ならない。しかも、その教えは「一万八千」の世界に広がっている。人々はそこで修行を重ね、また釈迦牟尼仏より以前に「入滅」した、多くの仏の遺骨を塔に納め、供養している様子も描かれている。


【解説】(「法華経の智慧」(池田大作・聖教新聞社・2011年)より抜粋引用)
斉藤克司:「法華経の“幕開けの章”となるのが序品です。内容は大きく三つに分けられます。第一の部分で「如是我聞」の句があり、続いて、法華経の説法の場所となる王舎城の霊鷲山に、たくさんの衆生が集まっていることが紹介されます。

須田晴夫:「如是我聞」とは「この通りに私は聞いた」という意味でほとんどの経典の冒頭に置かれている“決まり文句”ですね。


池田大作:その通りだが、法華経の場合、「聞く」ということが重要な意味をもち、経典全体にわたって強調されている。だから、「如是我聞」も、型どおりの言葉ではあっても、他経よりもいちだんと深い意味がある。大聖人の仏法にも深く関係する重要な点です。


斉藤:序品では、次に、釈尊が無量義処三昧に入って、種々の不思議な現象を表します。これが第二の部分です。


須田:無量義処三昧とは、仏の無量の教えの根源の法に心を定める三昧(瞑想)のことです。


池田:この三昧の名に、これから説かれる法華経が、あらゆる教えの基礎、根拠となる究極的な教えであることが暗示されている。無量義経に「無量義とは、一法従り生ず」とあるが、この究極の一法が法華経で説かれていくわけです。


遠藤孝紀:釈尊が、この三昧から安詳として立ち上がり、説法を始めるのが、次の方便品ですから、序品では、釈尊は説法をしません。ただ、三昧に入って、神通力で種々の不思議な現象を現すだけです。


須田:天から曼荼羅華や曼珠沙華などの花が仏や衆生の上に降ったり、大地が六種に振動するなどの現象が示されます。これによって、その場の衆生はかつてない気持ちになり、歓喜して一心に仏を見ます。すると仏は、眉間の白毫から光を放ち、その光が東方の一万八千の世界を照らし出します。


池田:それだけ聞くと、いきなり「法華経はおとぎ話か」と思う人もいるにちがいない。今で言えばSFの世界か、と。(笑)・・・戸田先生は、集まった衆生について、こう言われていた。「その何十万と集まったのは釈尊己心の声聞であり、釈尊己心の菩薩なのです。何千万といったってさしつかえない。」戸田先生は、法華経を、仏法を、人間の現実とかけ離れた架空の話や、観念論にはさせたくなかった。また、絶対にそうではないという確信があった。生命の法であり、己心の法であることを如実に知っておられたのです。この観点からみれば、東方を照らす仏の白毫の光についても、生命の深い真理を表していることが分かる。大聖人は「白毫の光明は南無妙法蓮華経なり」と仰せです。妙法の光であるからこそ、下は無間地獄から、上は有頂天に至るまで照らし出したのです。無間地獄の衆生ですら成仏させる力をもっているのが妙法です。


遠藤:その光で照らし出された世界では、それぞれの国土の仏が説法し、その教えを受けた人々がいつにさまざまな修行をしている。さらに仏が入滅し人々が慕って仏塔を供養する・・・そうしたありさまが、映画のように、つぶさに映し出されていきます。


池田:宇宙をスクリーンとする、壮大きわまりない映画だね。全宇宙が法華経の舞台であり、すべての仏が妙法を根本として成仏した。この根源の一法たる妙法を説き顕すのが法華経なのです。その大法が、これから説かれるゆえに、その瑞相として、さまざまな不思議な現象が現されるのです。


【注】「己心」:自分の心 自己の心
「瑞相」:前触れ 前兆 きざし