生きているときは誰かが欲しいのか。「一緒に生きる」とは、同居することではない。その人のことを「想う」ことであり、面影を抱くことである。心の中にぽっかりと穴があくのは、その面影が消え去ったと言うことであろう。 今、私の心の中に誰の面影も浮かんでこない。それを「さびしい」と感じるか、「きれいさっぱり... 続きをみる
車椅子のブログ記事
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妻は二人の娘を連れて家を出た。「身から出た錆」と言おうか、私は、それを当然の結果として、受け止めざるを得なかった。思えば、「仕事」と称して、私自身が「家出」を繰り返し、家族をかえりみることなど、ほとんどなかったのだから。 家には、飼い犬シロと私だけが残された。「家出」をしているときでも、なぜか... 続きをみる