梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

親子の絆

 自宅はT字路の突き当たりに建っているので、2階の窓から、こちらに向かってくる道路を、人が往来する姿を見ることができる。いつものことだが、朝七時を過ぎると、二人の幼児を両手につないだ若い母親がやってくる。母親は幼児を保育園に送りながら、勤めに出向く途中なのだろう。休日には、幼児の兄と思われる小学生や父親が一緒のこともある。今日も母親と幼児二人がやってきた。幼児は一人が母親と手をつなぎ、もう一人は二人の先を歩いていたが、突然、母親の足が止まった。手に提げた袋の中を見ていたが、とっさに何かを叫ぶと、二人の幼児を置き去りにして、全速力で今きた道を走り出した。忘れ物を取りに駆け戻ったらしい。私は、残された幼児二人がどうするか、緊張して見守った。彼らはただ母親の後ろ姿を見つめたまま、その場を動かなかった。母親が右折してその姿が見えなくなっても、彼らは凍り付いたように動かなかった。その姿を見て、私は感動した。普通なら追いかけようとするだろう。しかし「ママは必ず戻ってくる」、そうした確信があればこそ、その場を動かなかったに違いない。母親もまた「わが子はその場を動かない、私が戻るのをじっと待っている」という確信があればこそ、二人を置き去りにしたにちがいない。数分後、母親の姿が現れ、手を振りながら、また全速力でこちらに走ってくる。幼児たちも手を振って、待ち受ける。やがて母親は二人のもとに駆け寄り、両手をつないだ。ほんの数分間の出来事だったが、まさに「親子の絆」の《素晴らしさ》を見聞して、私の心は洗われた。
(2023.5.12)