梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

詩・ジュー(「青春うつ病詩集」より)

 たまらなくなって外へ出た。沁みこんでじっとりとした、鉄筋コンクリートの窓のような格子の外は、朝から、重くたれこめた乳汁のように、空が寒かった。時々冷たい雨が落ちていたのは知っていたが、こんな土砂降りであろうとは。私は興奮していた。
 光るだけで、燃えない蛍光灯に長い間照らされて、私はたまらなく苛立つような気がしていた。と共に、その苛立ちに全く無抵抗な空間に、私自身の悲しみが潜んでいたようだ。たまらなくなって外へ出た。
 孤独などという抽象語はくそくらえだ。人間が孤独だとか孤独でないとかいって表現されるものなら、何も要らない。言葉が人間をささえるだけだ。私の興奮した熱っぽい体に思わせぶりな土砂降りが降り注いで、ジュージューいった。
 天よ、明日は晴れねばならぬ。
 学校は調理場だ。ふりかえって、棚の校舎が河の森の向こうにうすぼんやりと見えたとき、私は何かほっとした。
 あの女の子たちのセーラー服の陰影に潜む、とりすまされた上品な性欲や、男の子たちの見下ろす金ボタンや、神社の寄付金のような序列の立て札から逃げることができたのだ。雨が降って、私は濡れた。一人ででも、なすすべはあるらしい。余り濡れ方がひどいので、買物かごをぶらさげた小母さん達が、立ち止まって眺めていた。私は、自分に近づいてくる人間は、誰でもみんな恐れた。だからわざわざ、人の通らない河のほとりや能舞台の横を通ってきたのだ。でもそれも、思い上がった私のうぬぼれではないのか。小母さん達は余りにもすさまじく廃物化した私という人間のぬけがらを眺めることを、立ち止まって耐え忍んでいたのかもしれない。すべてが去って、残り得た私の価値とはいったい何なのか。抵抗という臭み?私は失望していた。だが、私は死ぬことを恐れた。腐乱した肉体が、それ以上の悪臭が、どんな人間にでも害毒を及ぼすことは明らかであった。彼らは卒倒するだろう。
うっけつしたような十一月の空から、雨は時計の針よりも正確に降りしきる。頭から、耐え切れなくなった水滴が頬を伝って降りていく。私の頂点から波のように寄せていた熱い興奮が冷めそうになったとき、私はむしょうに執着していた。興奮を固守していた。
私は寒いと思った。何故かぶるぶるふるえそうになった。水滴が眼に流れ込んで、しみて流れ出たとき、ふと私は、泣いているのかと錯覚した。だが泣ける筈がない。私はなくことのできない人間だ。学校は逃げたけれど、雨は降りしきるけれど、私は泣かない。泣こうとしない。与えられた涙を顔いっぱいにしながら、泣けずに歩いていた。ようやく暗くなり始めた雨の中に、あの聖堂が何事もなかったように建っているのが見えたとき、ふと、私の両手が思うようにならないことに気がついた。
 真っ赤に膨れ上がって硬直したように、感覚がなかった。
 処刑された二十二歳の少年のように、もうすっかり冷えてしまった。さっきのすごんだような興奮を握り締めてあえいでいるのかもしれない。彼の手は苦悶の所産であり苦悶の具象であると言った。しかし私の手は苦悶の所産ではあるが、それはそれから虚脱した逃避した、ある放心の具象であると思った。私の手は生きている。彼の手は、死んで、冷たく、変色していた。やがては腐乱する肉塊に過ぎなかった。昨日の女の声を思い出しながら、私はどうしようもなく鉄筋コンクリートに吸い込まれていた。蛍光灯がさっきよりも得意げに誇らしく光っているのがちらちら見える。だがここも燃えていない。与えられた天の涙は全身からしたたり落ちた。ドアを開けたとき、運命的な意図によるア・プリオルな熱気か、興奮かわからない空間に、私の全身は、一個の水滴となって、ジューといった。


【補説】「処刑された二十二歳の少年」(小松川高校女子学生殺人事件・死刑囚)の日記〈屋上から見える空。雲も月も星も全部が注視している。見よ!この偉大なる力。すばらしい勝利。輝くひとみ。赤い顔」〉(李珍宇・1962年刑死・享年22)
(1963.1.30)