梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

小説・センチメンタル・バラード(1)

     美智子とかいう女の子が、安産をしたちょうどその日、ボクの恋人は流産した。恋人が死んだほうがいい。ボクは恋人を愛していないし、恋人もボクを愛していない。美智子とかいう女の子の、腹のふくらみがしだいにへこんで、その代わりに胸のふくらみが大きくなるにつれて、「しあわせ」というやつが美智子とかいう女の子の非生活的な生活の日々を満たしてくれるのだろうか。とはいえ、ボク達の生活といったところで、彼女の生活にまさるともおとらず、つまり時たま行った施設の子供達の頭をやさしくなでまわしたり、あるいは日々の外交的なおじぎや、微笑みのくりかえしのむなしさと同じように、毎日数ページのインクのしみを頭につめこむむなしさで満たされているのかもしれない。だがしかし、ボクはそのむなしさを愛さなければならない。恋人は流産したほうがよかった。生活はそんなこととは別問題だ。電気音楽にボク達はふるいたつけれど、それが終わると停電のときのあのあせりとはくらべものにならないほど、むなしい。むなしいのは、ボク達のどこかが何かで満たされているからなのだろうが、美智子とかいう女の子とボクの恋人はむなしいだろうか。むなしくないだろうか。パクられることを覚悟でなければ見ることのできない、恥部の象徴なんて、ボクは興味がない。それに比べると、愛してない恋人は大切だ。
(1966.4.20)