梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・2

《第一篇 総論》
《一 言語研究の態度》
【要約】
・国語学すなわち日本語の科学的研究の使命とするところは、国語において発見せられるすべての言語的事実を摘出し、記述し、説明し、進んで国語の特性を明らかにすることにあるが、同時に、国語の諸現象より言語一般に通ずる普遍的理論を抽象し、言語学の体系樹立に参画し、言語の本質観の確立に寄与しなければならない。国語研究に携わるものは、何をおいてもまず国語の持つ極微殛細の現象に対して凝視することを怠ってはならないはずである。ところが一方今日の言語学は、国語学に対して一般基礎理論を供給するものとして国語学に対立しているものと考えられている。言語学は国語学にとっては予定せられた理論体系であり、指導原理である。これが一般に認められている国語学に対する言語学の関係である。
・真の学問的方法の確立あるいは理論の帰納ということは、対象に対する考察から生まれてくるべきものであって、対象以前に方法や理論が定立されているべきはずのものではない。
・言語学がわが国に輸入せられた時、それは国語学と極めて特殊な関係において結ばれたのである。対象への考察以前に、あらかじめ学の方法理論というものが与えられ、対象はこの方法理論によって考察されてきた。国語学は、言語学をそのよって立つべき指導原理であると考えたのである。このことが「学問する」態度を失わしめたことは否定できない。・明治の国語学界に、この変則的な情勢を馴致するに至った理由は二つあると思う。一は、明治以前の国語学界の水準が、西洋に比べて極めて低かったと考えられたことである。間に合わせでも、他人のものを借りて来て目前の事態を整備せねばならぬ情勢にあったのである。そのことにより、国語において重要な課題が、学者の目から逸れ去った。(例・漢語、漢字の国語への流入という事実にかかわる研究は寥々たる有様である)二は、明治以前の国語研究が、理論的体系にまで組織されていなかったことである。
・以上のような理由により、明治以降の国語学者は、外部より与えられた理論と方法とを、絶対的なもの、普遍妥当的なものと考え、自らの力によって対象と取り組む勇気を次第に失ってしまった。
・今後の言語学を確固たるものにするためには、次の段階を踏まねばならないと思う。
1 国語を対象として考察してきた先行学者の研究を、理論的に再構成し、矛盾を摘発し、将来の出発点とする。
2 泰西言語学の理論および方法と、国語学との関係について正しい認識を持つことである。小林英夫氏が、国語は言語の一般性を分有しているに過ぎないと言われた(「言語学方法論考」)ことは、特殊と普遍との関係に対する正しい認識とはいうことができない。国語に存しないものは、言語の一般性とはいい得ないのである。国語に存しないような一般性が、仮にあるとしたならば、それはいずれかの言語の特殊性に過ぎないのである。
・国語研究の正しい目標は、一般言語学への有力な寄与にならなければならないが、それは国語学の外にある別個の学問に対する寄与ではなく、国語学自体の完成を意味することに他ならない。言語学と国語学との関係は、前者が後者に対して指導原理をもつものではなく、特殊言語の一の研究の結論として、国語学の細心な批評的対象ともなり、他山の石ともなるのである。ただいたずらにこれに追髄するならば、国語学は永久に高次的理論の確立への希望を放棄しなければならない。


【感想】
 ここでは、言語研究の態度として、「間に合わせに」西洋言語学で国語学を整備してきた明治以降の経緯をふりかえり、〈1 国語を対象として考察してきた先行学者の研究を、理論的に再構成し、矛盾を摘発し、将来の出発点とする。2 泰西言語学の理論および方法と、国語学との関係について正しい認識を持つことである〉ことが必要であると述べられている。 
 しかし、著者の提唱は、現代でも日の目を見ることはない。子どもたちが学校で学ぶ国語学(国文法)は、依然として(連綿と続く)「橋本文法」であり、「時枝文法」を知るものは極めて少ない。なぜだろうか。(2017.8.27)