梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「私の仕事」

 他人の人生に、私はつゆほどの関心もわかない。同様に、他人は私の人生に全く関心を寄せないだろう。したがって、私の人生は私だけのものに過ぎない。その人生も「終焉」を迎えているようだ。私の(母方の)祖母は98歳まで生きたが、米寿を過ぎたころ「わしゃあ、もう、飽いたよ」(私はもうこれ以上生きていくことに飽きた)と言い、まもなくボケ(周囲の人が誰だかわからなること)が始まった。でも、臨終間際には「認知が元通りに復活し」(面会の人一人一人の名前、続柄を正確に言い当て)、「ちょっと休ませてくれろ」と言い、それが最後の言葉になったという。まことに見事な大往生でうらやましい限りだが、それにしても人生に飽きてからの10年間は長かっただろう。 
 私はまだ74歳に過ぎないが、そろそろ「飽きてきた」。第一に、食欲がわかない。うまいものが食べたいという気が起こらないのである。食欲よりも、食後の不快感をおそれてしまうのだ。酒もビールも「腹が膨れる」ばかりで、いい気分とは程遠い。不思議なことに、あれほど執着していた「喫煙」も欲しなくなった。つい1年前までは「今日も元気だ、タバコがうまい!」などと、はしゃいでいたことが遠い昔のように感じられる。第二に、朝起きることが面倒になってきた。特に、朝方は激しい吐き気、胸やけにおそわれるので、それを抑えようと(内関を)「ツボ刺激」するだけで疲れてしまう。不快感がある程度治まると、また眠くなる。この繰り返しで、「このまま寝ていたってどうということはない」という気持ちにもなるのである。これを吹っ切るためには、「今日の仕事」を設定しなければならない。
 「私の仕事」は、前世代から引き継いだ文化を、後世代にバトンタッチすることである。具体的には、父が残した明治・大正・昭和期の書籍、アルバム、レコードを資料として整理し保存することである。私が学んだ先人の書籍を整理し保存することである。昭和中・後期のレコード、テープ、VHSを整理し、CD、DVDに保存することである。できれば、それらの資料を集約して「資料館」(資料室)を作りたいと思っている。
 残された時間でどこまでできるかは不明だが、「ボケ防止」もかねて取り組む所存である。(2019.3.1)