梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

乳幼児の育て方・Ⅳ・「むずかり」や「反抗」

【2歳頃から3歳頃まで】
 このごろのお子さんの様子を見てみると、以前に比べてどうも素直でなくなってきたというようなことが気になりませんか。靴下をはかせようとすると、前はおとなしくはかせてもらっていたのに、このごろは自分ではくと言って聞かない。「じゃあ自分でやってごらん」と言うと、うまくはけないでかんしゃくを起こす。あるいは、「新聞もってきて」などと言うと、以前は喜んで持ってきてくれたのに、このごろは「イヤ」と言ってそっぽを向いてしまう。テレビを見ていると、わざと画面の前に立ちはだかって邪魔をする。「よしなさい」とたしなめると、ますますおもしろがってやる。とにかく、何をやるにもまずお母さんに「さからって」からでないとやらないようになってしまった、というようなことはありませんか。他の子どもを見ると、みんなお母さんの言うことを「ハイハイ」と素直に聞いているような気がして、自分のしつけがなっていないからだと思い悩むことはありませんか。
 または、ひとりで十分できることなのに「できない」といって、わざとお母さんを困らせたり手伝ってもらおうとするようなことはありませんか。
 このような「むずかり」や「反抗」は、お子さんの成長・発達、特に「こころの成長・発達」にとって必要不可欠なものだと考えられています。人間は他の動物に比べて最も未熟な状態で生まれ、また親の保護や世話を必要とする期間も、最も長いとされています。(社会的に自立するためには20年近くかかります)したがって、乳児期の赤ちゃんは、身も心もお母さんから完全に独立しているとはいえません。それが、この頃になると、身体的にはもう一人前の人間としてひとりあるきができるようになります。そして心の面でも、お母さんから独立し「ひとり歩き」したいという気持ちが芽生えてくるのです。それが、はじめに書いたような「さからう」という行動としてあらわれてきたといえましょう。
 お子さんがお母さんに「さからう」のは、お母さんのことが嫌いになったからではありません。むしろ「自分」というものの存在がはっきりとしはじめ、それを大好きなお母さんにぶつけることによって、お母さんの反応を観察したり確かめたりしているのです。自分がこうするとお母さんはどうするか、この程度までならお母さんはおこらないけど、それ以上にするとおこりだす、また同じことをやってもその時の状態によってお母さんの反応はちがう、などということをお子さんは驚くほど敏感に学んでいくのです。そして、そのことが、お母さん以外の人とつき合っていく時の予備知識として貴重な参考になるのです。家の中では甘ったれでしょうがないけど、外へ出ると意外なほどしっかりする、というようなお子さんなら、あまり心配はありません。反対に、家の中ではおとなしく素直だけれど外へ出ると乱暴になる、というようなお子さんの場合には注意が必要です。なぜなら、お子さんがお母さんに「さからう」ことを十分にやらせてもらえないために、それが外に向かって爆発しているように思われるからです。しかも、そのような場合には、お母さんがお子さんの乱暴なことを気づかないでいることが多いようです。
 聴覚障害があるお子さんの場合、幼児期においてお母さんに「さからう」ことがほとんどなかったか、あっても始まる時期が遅れることが多いようです。むしろ、この時期には「さからう」というよりは、自分の思っていること、やりたいこと、やってほしいことなどを、うまくお母さんに伝えることができずに「かんしゃく」をおこしてしまうことが多いと考えられます。そして「さからう」ことが始まるのは、お母さんとの「やりとり」がスムーズにできるようになってからのことであり、両者をはっきりと区別する必要があります。
 いずれにせよ、お母さんに対して「ぐずること」や「反抗すること」は、お子さんがお母さんから離れ「ひとり歩き」を始めようとする第一歩なのです。大切なことは、必要以上に心配しすぎて、それを力ずくで止めさせようとしないことです。むしろ「ぐずりたい」「反抗したい」という気持ちをそのまま受け入れてあげること、しかしそうされるとお母さんとしてはとても「困ること」をお子さんにおだやかに伝えることが必要です。「反抗したい」という気持ちを受け入れるということは、それを許すことではありません。また、甘やかすことでもありません。「あなたの気持ちはわかるけど、お母さんはとても困ってしまう。それでもあなたはそれをやりたいと思うか」ということを「ことば」や「理屈」ではなく「表情」や「雰囲気」で伝えるのです。説得するのではなく、気持ちや感情に働きかけようとするのです。
 お母さんの本当に困った顔、それは「しかめっ面」ではありません。文字通り「本当に困った顔」なのです。