梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

乳幼児の育て方・Ⅳ・「できるのにやろうとしない子」と「できないのにやろうとする子」

【2歳頃から3歳頃まで】
 デパートのおもちゃ売り場でのできごとです。1歳半のAちゃんと2歳半のBちゃんが、乗り物コーナーの前にやって来ました。Aちゃんは、すぐに三輪車を見つけると「それに乗るんだ」という様子で必死です。お母さんは、まだ無理だからこっちにしなさいとブランコを勧めますが聞き入れません。お母さんは,やむを得ずAちゃんを三輪車に乗せました。案の定まだ無理で、こぐことはおろか、何度もひっくりかえりそうになりました。 一方、Bちゃんはどうしたわけか、お母さんのそばで乗り物を見ているだけで、いっこうに乗ろうとするそぶりを見せません。お母さんが「乗ってごらん」と勧めてみても、お母さんに体をすり寄せて「できないよー」というそぶりを見せるばかりです。お母さんはがっかりして「この子は何ていくじがないんだろう、もう2歳半なんだからできないはずはないのに」と思われるかもしれません。 
 さてAちゃんとBちゃんを比べてみましょう。Aちゃんは、だれがみてもできそうにないことを、「やりたがり」ました。そして案の定「失敗」してしまいました。反対に、Bちゃんは、だれもができるだろうと思うことを「やろうとしません」でした。その結果、「失敗」はしませんでした。しかし「成功」もしませんでした。
 Aちゃんは「積極的だが無鉄砲でみさかいがない子」だと見られるでしょう。Bちゃんは「慎重派だが引っ込み思案で意欲に欠ける子」だと見られるでしょう。これからの成長・発達を考えると、どちらが得をするでしょうか。それは、いうまでもなくAちゃんです。Aちゃんは「失敗」しました。しかし、その「失敗」を「経験」することによって、何かがAちゃんの中に残ったからです。Bちゃんは「失敗」しませんでした。しかし、それは何もしなかったからであり、Bちゃんの中に残るものはほとんどないでしょう。「失敗は成功のもと」という言葉があるように、数多くの失敗を繰り返してこそ成功することができるのです。このことを「試行錯誤」といいますが、その「経験」が多ければ多いほど、着実で豊かな成長・発達が期待できるわけです。
 今、お子さんはAちゃんですか、Bちゃんですか。Aちゃんなら、ひと安心です。けがをしないように、危険なところに近づかないように細心の注意をはらう必要はありますが、お子さんの「やりたがること」をどんどんやらせることによって、日一日と「成功」(できるようになること)の回数がふえていくことでしょう。
 もしBちゃんのような場合だったらどうでしょう。つまり「できるのにやろうとしない子」の場合です。ここで大切なことは、生まれつきの性格でそうなのだ、というようには考えない方がよいということです。子どもはもともと意欲的であり積極的な存在です。そうでなければ、他の動物にはまねのできない「歩く」(二足歩行)というような困難な動作を、あんなに着実に習得できるわけがありません。
 Bちゃんは、生まれつき消極的であったわけではなく、いつ頃からか「そうなっていった」のです。思い出して下さい。お子さんがもっと小さかった頃(1歳から1歳半くらいまで)何でもやりたがってお母さんを困らせたことはありませんか。あぶないものをいじりたがる、大切な物を使いたがる、そのたびにお母さんは「あ、それはだめよ」「いけません」といって「取り上げた」ことはありませんか。お子さんを危険から守るためには当然のことですが、おとなの都合だけで「取り上げた」こともあったのではないでしょうか。部屋が散らかるから、後始末が大変だから、というこちら側の都合で、お子さんの「やりたがること」を禁止したり、制限したりしたことはなかったでしょうか。そのことによって、お子さんは「やりたくてもできない」からあきらめてしまい、だんだん「やる気」をなくしてしまします。
 また、お母さんが「やってごらん」といった場合でも、性急に「成功」させようとすると、お子さんの「やる気」はなくなります。お子さんはお母さんとは違うのです。絶対に、はじめからお母さんとは同じようにはできないのです。何度も繰り返し失敗しながら、少しずつお母さんのやり方に近づいていくのです。洋服を着ること、脱ぐこと、はしを使うこと、靴をはくこと、脱ぐこと等々、すべてのことをお子さんは「失敗しながら」学んでいくのです。はじめから「成功」を要求すると、お子さんの心の中には「失敗してしまった」という気持ちだけが残り、自信を失います。そして「失敗」をおそれ、失敗するよりは何もしない方が、お母さんに叱られないですむ、という気持ちになっていきます。
 お子さんは「できるのにやろうとしません」、これは問題です。お母さんに「失敗してはいけません。みんなができるようにやりなさい」という気持ちで見られていることを、誰よりも強く感じているにちがいありません。「へびににらまれたカエル」状態になってしまっているのでしょう。