梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

私家版・昭和万謡集・6・「浜昼顔」

6 「浜昼顔」(詞・寺山修司 曲・古賀政男 歌・五木ひろし)
《寸感》
 歌人・寺山脩司は「作詞家」でもあった。その作物に「浜昼顔」という佳作がある。詠って曰く「家のない子のする恋は たとえば背戸の赤とんぼ ねぐら探せば陽が沈む 泣きたくないか日ぐれ径 日ぐれ径 たった一度の恋なのと 泣いてた君は人の妻 ぼくは空ゆくちぎれ雲 ここはさい涯北の町 北の町 ひとり旅立つ思い出に 旅行鞄につめてきた 浜昼顔よいつまでも 枯れるなぼくの愛の花 愛の花」。なるほど、一語として無駄がない。まさに歌人が描く「不倫の世界」、現実とはうらはらに、どこまでも「さわやか」で「澄みきった」景色ではないか。寺山は幼くして父と死別(父は戦死)、母とも長い間(成人するまで)別居生活を余儀なくされたのだから、「家のない子」の心情を詠いあげることは、文字通り「自家薬籠中」の「得意技」であることに間違いはない。それにしても、まだ未成熟、くちばしの黄色い小僧っ子の「ぼく」が、豊満で油ののりきった「中年増」を「きみ」と呼ぶなんぞは十年早い。いやいや、「たった一度の恋」などと、泣き濡れるところを見れば、この「人妻」、「この世の花」もどきの「幼妻」かもしれない。さすれば、「ぼく」の同級生か・・・。いずれにせよ、「(流行)歌は三分間のドラマ」、作曲家・古賀政男、歌手・五木ひろしの「協力」(演出)もあって、たいそう鮮やかな(心に響く)作物に仕上がっていた、と私は思う。とりわけ寺山同様、「家のない子」であった私自身にとっては、「ねぐら探せば陽が沈む 泣きたくないか日ぐれ径」といったフレーズは、まさに「殺し文句」、ただ頭を垂れて「納得」してしまうのである。(2023.10.20)



BKIBH748 浜昼顔④ 五木ひろし (1974)191108 Ver4L HD