梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

国葬の是非

「国葬(こくそう)とは、国家に功労のあった人物の死去に際し、国の大典として国費で行われる葬儀のことである」(ウィキペディア百科辞典)
 そこで問題となるのは、安倍晋三という人物が「国家に功労があったか否か」という一点であろう。民主国家にあっては、国家イコール国民のことだから、安倍元首相は国民のために何をしたかを検証することが重要である。歴代一位の長さで首相を務めたことは事実だが、そのことが国民の幸福、安全とどのように結びついていたか。もし彼の言葉通り「北朝鮮に拉致された人々が全員帰国できた」なら、功労があったといえるだろう。しかし、実現されていない。「拉致問題の解決が安倍内閣の最重要課題である」という言葉は、文字通り言葉だけで終わったのである。ことほどさように、安倍晋三という人物の言動には杜撰さが目立つ。加えて、彼の特徴は「公私混同」。モリ・カケ・サクラは言うに及ばず、死後の私的な葬儀 にまでも自衛隊の儀仗隊を参列させているではないか。政治家のステータスは、国民に対する奉仕の程度(公正さ)で決まると思われるが、彼ほど「身内を可愛がる」こと(えこひいき)に終始し、「身内だけに人気がある」政治家も珍しい。
 選挙運動という「公的」な活動の場で、犯人の「私的」恨みによって殺害された死にざまも「公私混同」、その葬儀にあたってもまたまた「国葬」などという公的手段を用いるつもりか。 在位期間の長さだけを「功労」と位置づけ、反対の声を無視して強行する「国葬」もまた「公私混同」の極みであることを肝銘しなければならない。恥ずかしい限りである。
(2022.9.1)