梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇場界隈・おぐら座(金沢)

 午前6時、「放浪の旅」に出立、上越新幹線で越後湯沢、経由で金沢へ向かう。
車中で「庶民列伝」(深沢七郎・新潮社・1970年)のうち「サロメの十字架」読了。登場人物は、アルサロ(水商売)のママ、ホステスたちとパトロン、客といった面々で、その「やりとり」、「風俗」を淡々と描いている。筋書きといっても、移り気なオーナー(社長)の好みに応じて、ママが次々に交代していく程度。しかし、眼目は「商売女」の「庶民性」とでもいおうか、「憎めないお人好し」の様子が、面白おかしく、また魅力的に描かれており、永井荷風の作物とは違った風情の「佳作」だと思う。初代ママと二代目ママ・純子は「男」(パトロン)によって「対立」せざるを得ないが、所詮は「同じ立場」、気心は通じ合っている。思いっきり泣いてみたり、笑ってみたりするのも、すべて計算済みといった「したたかさ」を持ち合わせている一方、すぐに「ころりと騙される」のも御愛嬌。だが、どうしてもわからなかったのは、この作品のタイトル、どうして「サロメの十字架」なのだろうか。
 越後湯沢では、時間の余裕があったので、貝掛温泉に立ち寄る。2回目だが、風情に変わりはなかった。「ぬるめの湯」が、いつまでも入っていられて飽きない。昼食は山菜の天ざる、2時台のバスで越後湯沢に戻り、「ほくほく線」特急で、金沢に向かう。
 午後6時から、金沢・おぐら座で大衆演劇観劇。「劇団秀」(座長・千澤秀)。おぐら座は、この4月に柿落としをしたばかりだが、「造り」は、いたって簡単、天井の鉄骨はむき出しのまま、客席も50人入れば満員という「狭さ」であった。木戸には役者が立っており、みずから入場料を徴収している。ということは、ここの経営は各劇団が「共同」で行っているということだろうか。料金を払おうとしたら、「お年は、おいくつですか?」と尋ねられた。なるほど、劇場の案内を見ると「シルバー(70歳以上)1500円」と書いてある。私は「63歳です」と正直に答えたので、1900円徴収されてしまった。
客筋で目立ったことは、①若い女性が多い、②家族連れが多い、③着物姿が多い、ということであろうか。出演劇団は「劇団秀」ということだが、桜木英二、瞳ひろしといった「座長」クラスの役者が応援している。パンフには「下町かぶき組奮闘公演」「劇団秀 初来演」とも記されているので、要するに、弱小劇団の「若手座長」と「ベテラン座長」が「協力し合って」奮闘しているということであろう。若手には「味」が足りない、ベテランには「若さ」(艶やかさ)が足りない、その辺を補い合い、弱点を克服できるかどうか。役者は他に、二代目桜風太郎、飛雄馬、舞鼓美らが出演していたが、「実力」は「水準」まで今一歩。ただ一人、ベテラン女優(芸名不詳)の舞踊、立ち回りが光っていた。パンフによれば、「千澤秀 幼少のころより大衆演劇の舞台で育ち、1995年より(株)誠オフィスに所属。松井誠の甥っ子。下町かぶき組スーパー花形として、大衆演劇の劇場やホテル公演に多数出演。2008年5月より劇団秀を旗揚げ。華のある女形には定評があり、芝居では2枚目も3枚目もこなす芸達者。又、2006年にシングル「いい加減にせんと」(CX「この夜にブルースが泣いている」)をリリースし歌手としても活動を行う」とある。芝居の外題は「吉良の仁吉」、特別狂言・次郎長三国志シリーズの第三弾というふれ込みであったが、何といっても「役者不足」は否めない。座長・千澤秀の仁吉はよいとしても、その女房、身内の清水一家・大政、小政、鬼吉は「力不足」、敵役・桜木英二、後見役・瞳ひろしは「若さ不足」といった按配で、どうにも「絵」にはならない舞台であった。BGM自体も「力不足」、「吉良の仁吉」といえば「美ち奴」というのが私の常識だが、最後までその歌声が流れることはなかった。
(2008.6.16)