梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇場界隈・大井川娯楽センター(静岡)

 大井川娯楽センターは、開業60年を超える「東海の娯楽施設」である。東海道本線金谷駅から徒歩5分、といっても所在地が「城山」とあるように、鬱蒼とした森の中、しかも急勾配の山道を数十メートル登らなければならない。小山の頂上から斜面にかけて敷設された「たたずまい」といおうか、劇場の入り口は「階段の途中」にあった。施設の内部は、旅館「百楽園」、劇場(舞台付き大広間兼食堂)、ロビー(といっても鰻の寝床のような板の間)、売店、浴室、といった設計で、昭和中期の「総合娯楽施設」が、どこかの博物館に保存されているような風情である。
 公演は「鹿島順一劇団」(座長・鹿島順一)。11年ぶりの来演とあって、座員、観客ともどもに懐かしさも一入、その和気藹々の雰囲気は「関東・東北公演」では見られない代物であった。なるほど、劇団は、もう自分の「庭」に一歩を踏み入れたのだ。芝居「人生花舞台」「浜松情話」の舞台は目と鼻の先、さぞかし「情感豊か」で「艶やかな」舞台絵巻が展開されることであろう。
 初日の公演は、開演11時、ミニショー、昼食休憩1時間、芝居、歌謡・舞踊ショー、終演3時30分という構成であった。芝居の外題は「新月桂川」。敵役・まむしの権太、権次(二役)を好演している春大吉が、「配偶者の出産」のため、今日は、花道あきらが代演したが、これまた「ひと味違う」キャラクターで、出来映えは「お見事」、例によって「新作」を見聞できたような満足感に浸ることができたのである。前回(11年前)来た時、三代目虎順は6歳(小学校1年生)、まだ舞台には立っていなかったという。したがって、今回は、桂川一家の若い衆・銀次役で「初お目見え」(初登場)となったが、「全身全霊で臨む」のが彼の信条、その舞台姿は、親分(蛇々丸)のお嬢さん(春夏悠生)を思う直向きさ、どこまでも兄貴分・千鳥の安太郎(鹿島順一)を慕う純粋さにおいて、座長(父・鹿島順一)と十二分に「肩を並べ」、時には「追い超す」ほどの迫力があった、と私は思う。願わくば、安太郎が「惚れて惚れて惚れぬいた」お嬢さんの風情が、「今一歩」、「振った女」より「振られた男」の色香が優るようでは、「絵」にならないではないか。次善とはいえ、鳥追い女(春日舞子)との「旅立ち」が、殊の外「決まっていた」ことがせめてもの「救い」だったと言えようか。春夏悠生、今後の奮起・精進に期待したい。
 歌謡ショー、鹿島順一の「明日の詩」は珠玉の名品、数名の観客がペンライトで呼吸を合わせたが、その動き通りに鹿島順一の「姿」が揺れる。多くの場合(近江飛龍でも大川竜之介でも)、観客のペンライトをコントロール(指揮)するのは役者(歌い手)の方だが、鹿島順一は「正反対」、客の「動き」に合わせてでも、珠玉の名品を「歌い切って」しまうのだ。けだし、名人の「至芸」とは、このようなものなのだろう。関東・東北公演では「決して客に媚びようとしなかった」彼だが、本拠地への帰還はもうすぐ、慣れ親しんだ贔屓筋との「阿吽の呼吸」を楽しもうとするかのような風情が窺われ、不覚にも落涙した次第である。
(2009.7.10)