梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「新川劇団」(座長・新川博也)

【新川劇団】(座長・新川博也)〈平成22年10月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は「原爆の子」。開幕直後の舞台背景には、昭和20年8月6日、広島に原爆が投下されたニュース写真が映し出され、登場するのは、血だらけ傷だらけ、衣服はボロボロ、立っているのがやっと、といった「この世のものとは思えない」被爆者ばかり、といった景色で、その切迫した状況が見事に描出されていた、と思う。およそ大衆演劇の風情とはかけ離れた舞台からスタートしたが、案ずるには及ばず、二景の場面は、それから19年経った広島、とある芝居小屋の木戸口に移り変わる。被爆直後、行方不明になってしまった息子を探し続けている父親(座長・新川博也)が登場、木戸口に掲げられた一座のポスターに眼をとめた。座長の顔写真を食い入るように見つめた後、「息子によく似ている。息子に間違いない」と確信、木戸銭を払おうとするが10円足りない。木戸番の親父(川乃洋二郎?)と「まけてくれ」「いや、まけられない」と揉めているところに、売店のお茶子(新野正己?)が助け船、10円補って、二人は芝居小屋の客席へ・・・。上手に退場したが、いつのまにか、湯宴ランドの客席後方から再登場。「えーと、どこの席がいいかな・・・」などと言いながら、物色し始めた。たちまち、客席全体が芝居の舞台に早変わり、観客一同も登場人物にされてしまう、といった趣向がたいそう奇抜で面白かった。舞台では劇中劇の「グランドショー」が開幕、組舞踊「元禄花見踊り」(新川博之、峰そのえ、他)の出来栄えは、ひときわ艶やかであった。個人舞踊は、座長(副座長・新川笑也)の「肥後の駒下駄」、ひと踊りが終わるやいなや、客席から父親が舞台に駆け上がる。「そうだ、おまえは息子、私の息子に違いない!」といって座長に取りすがった。一同唖然としてショーは中断、しばし父親の「子別れ話」に座員・観客ともども聞き入る羽目に相成った。その話が終わると、またまた客席から、誰やら大声をあげて舞台に駆け上がる。「お父さん!あなたの息子は私です!」。本当の息子(副座長新川笑也・二役)は客席の方にいたのだった。加えて、息子の嫁も乳飲み子を抱えて客席から登場、被爆者の親子が19年ぶりに無事再会を果たして、大団円となる筋書であった。芝居の眼目は、「原爆がもたらした悲劇」の描出、根底には、庶民の視点から見た「反戦感情」が根強く、根深く流れていることは確実で、表面的なイデオロギーをはるかに超える説得力があった、と私は思う。大衆演劇が眼目とする「義理人情」「勧善懲悪」「滅私奉公」「長幼の序」「人権尊重」といった徳目に、あらためて「反戦平和」の感情を加えなければならないことを肝銘して、帰路に就くことができたのであった。感謝。
(2010.10.15)