梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「劇団颯」(座長・颯馬一気)

【劇団颯】(座長・颯馬一気)〈平成22年9月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は「天保水滸伝・笹川の花会」。筋書は、先代(二代目)玉川勝太郎の浪曲通り。幕開け、冒頭の場面。笹川一家の若い衆・小南の正助が飯岡一家にやって来た。迎えに出たのが洲崎の政吉(副座長・颯馬まさき)で、花会のちらしと手土産を受け取りながら、しきりに、この若い衆を「おちょくる」風情が何とも可笑しかったが、正助の方は「大真面目」に応じ続ける。清々しい態度で、多分、颯馬京一郎あたりが扮しているのだろうと思ったが、実は大間違い、座長の長男・颯馬春の「晴れ姿」であったとは・・・。それにしても、人間変われば変わるもの、私が彼の姿を見聞したのはほぼ2年前、「舞台では棒立ち、その視線も定まらず」といった有様で、他人事ながら「この先、大丈夫だろうか」と案じていたのだが・・・。その時の座長の口上。「私の長男坊なんですが、やる気があるものやら、ないものやら全く困ったものです。弟たち(子役・颯一馬、颯一斗)の方がよっぽど筋が良い」。身内での話ならともかく、見知らぬ観客にまで「親の心情」を赤裸々に吐露するとは・・・、その「潔さ」「大胆さ」に感じ入ってしまったのだが、今回もまた座長いわく「本当に2年前はひどかったです。中学ではケンカばかりする落ちこぼれ、先生も職場体験学習の『行き先』を決めかねて、親の劇団でやってこい、と言われたほどです。あれから2年、まもなく17歳、最近どうやら、少しずつやる気が出てきたようです。まだまだ未熟者ですが、どうか可愛がってやってください」。お父さん、お見事!さすがは家族、さすがは師匠!。その指導力、教育力に私は心底から脱帽する。2年前、颯馬春が舞踊ショーのアナウンスを担当、「東京発」の曲名を「トウキョウ・パツ」と紹介した、なぜって「発」は「シュッパツ」の「パツ」だからと舞台で説明、その「学力不足」を陳謝させられた姿が、昨日のことのように思い出される。その彼が、たった2年の間に、これほどまでの「変身」を遂げようとは!。聞けばこの父子、ほぼ10年(春、5歳から15歳時まで)「別居生活」を強いられていたとのこと、その間に「学校教育」が果たした役割は何だったのか、等と余計なことを考えてしまった次第である。今回の舞台でも、「それでは、笹川に帰ります」、「笹川ってどこだ?」などと伯父の颯まさきに突っ込まれ、「えーっと、栃木県で・・・」「バカ、笹川は下総の国、千葉県と茨城県の境だ。これから42.195キロ歩いていけ!」「ずいぶんとお詳しいようで。おそれいりやした」「バカ、42.195キロはマラソンの距離、そんなことまでオメエ知らねえのか!」「へえ、どうかもう、勘弁してやっておくんなせえ」といった(息の合った)「やりとり」は絶妙で、「かつての落ちこぼれ」の面目躍如、「したたかに虐められる」ボケの魅力を十二分に発揮していた、と私は思う。結果良ければすべてよし、芝居に舞踊に、文字通り「水を得た魚」の風情で、精一杯、初々しく、颯爽と活躍する17歳の勇姿に大きな元気を頂戴して帰路に就くことができたのであった。
(2010.9.15)