梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇場界隈・横浜・三吉演芸場

 午後6時から、横浜・三吉演芸場で大衆演劇観劇。「森川劇団」(座長・三代目森川長次郎)。ここの劇場は、大衆演劇の開催地としては「やや異色」である。インターネットで「演劇グラフ」を検索、さらに「全国公演案内」という項目をクリックすると、全国各地の「劇場」が紹介される。三吉演芸場の記事は以下の通りである。〈昭和の初めに旦那芸の披露場所を提供すべく貸しホールとしてスタートし、その後芝居や映画に活躍の場を与え、昭和48年からは改めて大衆演劇に舞台を預けることになったそうです。現在では東京新聞にて日々演目を紹介したり、横浜テレビ局(ケーブルテレビ)で芝居の中継サービスを行うなど、多方面にサービスの輪を広げています。精力的に大衆演劇の灯を広めようとする姿勢はチリ一つない館内の清潔さにも見て取れます〉。まさに、その通り、「チリ一つない館内の清潔さ」が特徴であり、他の劇場に見られる「騒々しさ」「雑多さ」「侘びしさ」「レトロ」といった風情とは一線を画しているところが、「異色」なのである。落語の場が「寄席」と「ホール」に区別されるように、大衆演劇の場も「芝居小屋」と「ホール」(さらには健康センター・ホテルの大宴会場など)に区別されるのかもしれない。とはいうものの、大衆演劇の舞台が映えるのは「小屋がけ」か「大宴会場」まで、「ホール」となると、よほど「異色」(商業演劇的あるいは個性的)な内容でなければ「引き立たない」のではないだろうか。事実、近年この劇場で「大盛況」を結果する劇団は「極めて少ない」ような気がするのである。例えば「近江飛龍劇団」、例えば「剣戟はる駒座」、例えば「春陽座」、例えば「都若丸劇団」くらいであろうか。他の劇団は、いずれも「苦戦を強いられる状況で、特に「夜の部」は、観客数20人程度の毎日が続いているのではないだろうか。
 本日の観客数も20人前後、チリ一つない清潔な館内(客席)に、20人が「点在する」風景は、いかにも「異色」である。(同じ20人でも川崎・大島劇場なら「大盛況」といった雰囲気を醸し出すのだが・・・)言い換えれば、いかにも「息苦しい」。その息苦しさに「飲み込まれ」、多くの劇団は、本来の「実力」を発揮できぬまま千秋楽を迎えるような羽目に陥るのでは・・・。(といった部外者の「大きなお世話」までも誘発するような有様といえよう)私の「独断と偏見」(悪意に満ちた曲解)によれば、各劇団にとって、この劇場は「鬼門にあたる」といっても過言ではない。事実、今日の舞台、芝居の外題も筋書も「失念」してしまうほどの出来栄え、いつもなら「味わい深い」芸風の森川竹之助までもが「劇場の魔物」(雰囲気)に翻弄されてか、贔屓筋相手の「座敷芸」に終始、その様子を見て、座長が「今の芸、ハマちゃんだよな」などと「解説」するようでは、まさに「地に落ちた」という他はない。だがしかし、太夫元・司玉緒、構成演出・森川凜太郎といった斯界の実力者を後ろ楯に、森川竜二、竹之助、竜馬といった若手のエネルギーが充満する「いなせ組」、加えて色香たっぷりの女優・夢川なみ、さらには可憐な子役・森川とっぴん、すっぴんといった「面々」を擁する「森川劇団」の「実力」は「こんなものではない!」のが事実である。今日の観客の誰もがそう思っていたに違いない。大衆演劇の舞台(出来栄え)は「水物」、あくまでも「劇場次第」「客次第」といった「言い様」が断言できる「典型的な事例であった」、と私は思う。ただし、この劇場の、〈精力的に大衆演劇の灯を広めようとする姿勢〉は《本物》、経営者が、精一杯、「大衆演劇の格上げ」を目指している意図は、手に取るように解るのだが・・・。
(2010.10.10)