梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

76回目の誕生日

 今日は76回目の誕生日である。いつもと変わらない。7時頃起き、朝食を作り、食べ、顔を洗ってひげを剃る。血圧、体温、血中酸素濃度を測定し、記録する。以後は気が向けば、本を読み、CDを聴き、DVDを観る。一日おきの外出(散歩、買い物)も欠かせない。体調は不安定。気分の5段階評価(5・絶好調、4・良好、3・普通、2・不快、1・最悪)をすれば、2~3の繰り返しが続いている。せめて3~4の繰り返しまで「もっていきたい」と思うのだが・・・。
 還暦(60歳)までの人生は「研修期間」、失敗は許されるが、以後の人生こそが「本当の人生」だと言われている(棋士・米長邦雄九段・永世棋聖)。私の場合、58歳で現職を退き、以来18年、「気ままに」「無為な」時間を過ごしたように感じる。もともと古稀(70歳)まで生き延びられるとは思っていなかったが(母の享年は39歳、父の享年は67歳だから)、予想に反して「長生き」してしまった、というのが実感である。
《老醜》という言葉どおり、老いることは醜いことだ。美しく、かっこよく年を取りたいなどとは「身の程知らず」というもので、せめて「邪魔にならぬ」よう自粛して生きなければならない。 
 と言いながら、またまた余計なことを考え始める。生きている間に「聖書」(日本聖書協会・1959年)を読み終えよう。併行して「昭和史」、とりわけ戦争の歴史(「日本の歴史・7]・15年戦争」(家永三郎編・ほるぷ出版・1977年)を学ぼう。
 さらに、『DEATH 「死」とは何か』シェリー・ケーガン著・柴田裕之訳・文響社)まで読み通せれば幸せだ。著者いわく「もし、死が本当に“一巻の終わり”ならば、私たちは目を大きく見開いて、その事実に直面すべきでしょう。・・・自分が何者で、めいめい与えられた“わずかな時間を”どうつかっているかを意識しながら」。
 まだ、死ねない。
(2020.10.25)