梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

父のレコード・2・「影を慕いて」

 父が遺したSPレコードを発売順に並べると以下の通りになる。


■「東京行進曲」(佐藤千夜子)昭和4年・1929年
■「紅屋の娘」(佐藤千夜子)昭和4年・1929年
■「女給の唄」(藤本二三吉)(羽衣歌子)昭和5年・1930年
■「唐人お吉小唄」(藤本二三吉)昭和5年・1930年
■「唐人お吉の唄」(佐藤千夜子)昭和5年・1930年
■「影を慕いて」(藤山一郎)昭和7年・1932年
■「サーカスの唄」(松平晃)昭和8年・1933年
■「急げ幌馬車」(松平晃)昭和9年・1934年
■「夕日は落ちて」(松平晃・豆千代)昭和10年・1935年
■「花言葉の唄」(松平晃・伏見信子)昭和11年
■「国境ぶし」(新橋みどり)昭和11年・1936年
■「ああ我が戦友」(近衛八郎)昭和12年・1937年
■「旅の夜風」(霧島昇・松原操)昭和13年・1938年
■「悲しき子守唄」(松原操)昭和13年・1938年年
■「父よあなたは強かった」(伊藤久男・二葉あき子・霧島昇・松原操)昭和14年
■「仰げ軍功」(霧島昇・二葉あき子)昭和14年・1939年
■「湖畔の宿」(高峰三枝子)昭和15年・1940年
■「佐渡おけさ」(村田文三)昭和30年
(■「さのさ節」(東京 小花) 不明)
(■「鬢ほつ」(東京 小花) 不明)


 「東京行進曲」は歌謡曲の「先がけ」として大ヒットしたといわれているが、父が生まれたのは明治39年だから、弱冠24歳時の思い出として、戦後になってから買い求めたものだろう。「紅屋の娘」「女給の唄」「唐人お吉の唄」なども同様である。佐藤千夜子は古賀政男の才能を見出した先輩であり、「影を慕いて」を藤山一郎よりも先に吹き込んでいる。藤山一郎の「影を慕いて」が大ヒットした頃、父はもう満州に渡っていたのだろうか。藤山一郎のクルーン唱法は、声を張り上げるのではなく、マイクに向かって(普通の声量で)「語りかける」ように歌う方法といわれているが、彼の発音(構音)はきわめて日本語的である。つまり、「子音+母音」の語音発声が明確である。加えて、リズムも西洋的な「強弱」ではなく、「三・四・五」といった音の数による「調べ」に基づいているという点でも、流行歌手のお手本になると、私は思う。同世代の松平晃、霧島昇、楠木繁夫、伊藤久男らの唱法もその影響を受けているかもしれない。