梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

乳幼児の育て方・Ⅲ・お母さんの「話しかけ」

【1歳頃から2歳頃まで】                             
ことばは、生まれつき人間にそなわっているものではありません。だから、子どもはおとなのことばを「学ぶ」ことによって初めて身につけることができるのです。お父さんやお母さんの「話しことば」をお手本として聞きながら、それをマネすることによって身につけていくことになります。通常は、いつのまにか知らず知らずのうちにおしゃべりができるようになるので、とりたててお父さんやお母さんがことばを「教えた」わけではありません。子どもが問いかけてきたことに親が答えているだけで、十分ことばを身につけることができるのです。このことは、聴覚障害のあるお子さんにどうやってことばを身につけさせるかを考える時、とても大切なヒントになります。おとなの方はとりたててことばを教えようとしたわけではない、しかし、子どもは自分からそれを学ぼう(マネしよう)としておとなに問いかける、おとなはそれに答える、という関係の中で着実にことばを身につけていく、ということです。そして、その関係は「表情・声・動作などによる気持ちのやりとり」を土台として、子どもの側に「知りたい」という欲求が生じなければ成り立たないものなのです。この「知りたい」という欲求が、今、お子さんにどれだけ高まっているかを知ることが重要です。落ち着きがない、何でもさわりたがる、すぐに物を口の中に入れようとする、気が散りやすい、こうした状態のお子さんは「知りたい」という欲求がまだ不十分(未熟)な段階であり「ことばを通して」知ろうとするところまで育っていないと考えられます。ことばとは所詮「音の集まり」で、聴覚障害のあるお子さんの場合は、それをはっきり聞き取ることができないわけですから、他の手段で「知ろう」とすることは、当然の姿なのです。
 さて、そうしたお子さんにことばを身につけさせようとする場合、どんなことに気をつけ、どんなことをすればよいでしょうか。今、そのことをお母さんの「話しかけ方」に焦点を絞って考えてみたいと思います。
 まず、「ことばを教えよう」という気持ちを捨てて、お子さんが「これなーに?」と問いかけてくることを辛抱強く「待つ」ことです。もちろんお子さんは「これなーに?」と言うことはできないでしょう。しかし、ある物を指さして「アーアー」と声を出しながらお母さんの顔を見つめるということは「これなーに?」と問いかけたことと全く同じです。まだお子さんがそのようなことをしないのに、「ことばを教えよう」としていくらたくさん話しかけても、ほとんどお子さんは聞いていないでしょう。よくいわれる「お子さんをことばのお風呂につける」ということは、お子さんの側に「何でも知りたい」という欲求があって、その欲求に対して的確なことばが与えられた時、はじめて効果があがることなのです。したがって、まだはじめの段階では、お母さんの「話しかけ」は少ない方がよいのです。ただし、その「話しかけ」は一発必中でなければなりません。道路を歩いていて犬を見つけました。お子さんの表情がかわり指さしながらお母さんの顔を見ました。話しかけるのはその時です。「あっ、ワンワンだ」、それだけでいいのです。お子さんは満足そうにうなずきます。そして、もう一度お母さんの顔を見つめました。チャンスです。お子さんは無言のうちに「今の犬についてもう少しくわしく説明して」と問いかけているのです。「大きいワンワンだね-。大きいねえ」、両手を広げて話しかけます。それだけでいいのです。大切なことは、お母さんの「話しかけ」をどれだけ集中して聞こう(見よう)としているか、「話しかけ」によってお子さんはどのような反応をしたかを、細かく観察することです。それによって、もっと話しかけるべきか、もう終わりにすべきかはおのずとわかるようになります。
 次に、今お母さんとお子さんの目の前にあるものについて話しかけるということも大切です。特に、今お子さんが見ているものについて話しかけるのが効果的です。高度難聴のお子さんの場合は、お母さんの口もとを見せることが必要であり、どうしても向かい合わなければなりませんが、その時でも今お子さんが見ているものを、お母さんも一定時間一緒に見続けてから、そのあとでお子さんに話かけるようなゆとりが必要です。まだお子さんがそれを見ていて、もっと見たいと思っているのにそれを中断して話しかけることは、お子さんの「知りたい」という欲求を妨げることになり、結果的には「気が散りやすい」生活態度を招くことになります。
 最後に、話しかけることばの長さが問題です。はじめは短いほどお子さんにとっては楽であり、的確に聞き取ることができます。私たちが英語で話しかけられた時と同じです。ただ「サンキュー」と言われれば完全に聞き取れますが、ペラペラと続けてまくしたてられると、もう何が何だかわからなくなり、その中に「聞いたような単語が二つか三つあるな」、といった状態になるでしょう。お子さんの場合も全く同じだと考えられます。今、お子さんが全くおしゃべりができない状態の場合は一つのことばで、片言が言えるようになった状態の場合は一つまたは二つのことばで、ことばが二つ、つながるような状態の場合は、二つまたは三つのことばで、というように現在のお子さんのおしゃべりの状態と同じ程度からちょっと長くした程度のことばで話しかけることが効果的です。