梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

乳幼児の育て方・Ⅲ・ことばがはっきりしません

【1歳頃から2歳頃まで】
 どんな子どもでも、ことばを話しはじめたその時から誰にでもわかるようにはっきり話すということはありません。はじめは、ただ声を出すだけであり、その声が次第にことばらしくなっていくのです。耳が普通にきこえる子どもでも、私たちおとなと全く同じように話せるようになるためには5年間かかるといわれています。その間に、ことばを聞き分ける力、口の中のいろいろな器官を使ってことばの音を作る力が徐々に育っていくのです。
 【したがって、もしお子さんの耳のきこえが悪いとしたら、ことばがはっきりしないのは当然のことです。大切なことは、ことばがはっきりしないことを気にしないことです。たとえはっきりしないことばでも、一生懸命声を出してお母さんに何かを伝えようとしていることを至上の喜びとすべきだと思います。なぜなら、声を使って何かを伝えようとすることこそが、話すことの第一歩だからです。はじめからはっきり話させようとして、お母さんが無理に教え込もうとすると、かえって声を出すことが嫌いになり、話すことの学習が遅れてしまいます。】
 声を出していることは出しているが何を言っているのかさっぱりわからない、というお子さんはいませんか。そんな時はどうすればいいのでしょうか。まず「何を言っているのかわからない」ということをもう一度よく考えてみる必要があります。さっぱりわからないのは、お母さんの気持ちがお子さんの声ばかりに集中してしまい、声だけでわかろうとしているからではないでしょうか。お子さんが感じていること、考えようとしていること、伝えようとしていることは、私たちおとなが考えるほど複雑なものではありません。お子さんの、一連の行動、表情、しぐさなどその時の場面をよく見ていれば、今何を伝えようとしているか、だいたいの察しはつくものです。また、声全体の調子や語尾の調子からでも「今は私に教えようとしている」「今は私にたずねているんだ」というようなことは区別ができるように思われます。したがって、「さっぱりわからない」とあきらめてしまわずに、声以外の情報も手がかりにして「こんなことを言っているのではないかしら」と見当をつけることが大切です。そしてニッコリうなずきながら「フーン、そうなの」と応えてあげましょう。(たとえ見当がつかない場合でもです)そのことによって、お子さんは自分の話がお母さんに伝わったという喜び、「充実感・張り合い・自信」を感じることができるからです。「お母さんは、ボク(ワタシ)の話を聞いてくれる」という気持ちが、お子さんをおしゃべりにし、ことばの学習の機会をより豊かにしていくのです。
 お子さんのことばはまだまだはっきりしません。やむを得ません。それが自然な姿なのです。お子さんがはっきりしないことばを話している時、お子さんの頭の中にはさまざまな情報・イメージがめまぐるしく回転しています。つまり「考えて」いるのです。このことを大切にしたいと思います。
 【さて、お子さんのきこえが悪い場合、当然ことばははっきりしませんが、その時、「どんな声を出しているか」ということは問題になります。今、お子さんが「おさかな」のことをオアアア」と言ったとします。その時「オアアア」という声は、普通の人が「オアアア」と言う声と全く同じでしょうか。声全体が高すぎたり、低すぎたりすることはありませんか。声が鼻にぬけたり、鼻がつまった時のようにはなりませんか。のどに力が入って苦しそうな声ではありませんか。はじめは強くおわりが消えてしまうようなことはありませんか。息づかいが妙にせかせかして目立つことはありませんか。このような場合には、ことばをはっきり言うことの「土台」になる「声の出し方」自体に問題があるのです。きこえが悪い場合、自分の声を十分に聞くことができないので、自分の声の大きさや高さ、調子をうまく調節することができません。また声を出している実感を、耳以外の部分で確かめようとするために、のどに力が入りすぎたりすることがあります。そのような時は、要注意です。
 補聴器の役割は、他人の声をきくためだけではなく、自分の声を聞くためにもあります。特に、高度難聴のお子さんの場合には、自分の声を聞く役割の方が大きくなります。補聴器によって、自分の声を改善することができるからです。したがって、「声の出し方」自体に問題がある場合には、まだ補聴器が十分身についていないか、補聴器の調整の仕方が不十分であり、自分の声がよく聞こえない状態にあることが考えられます。補聴器をつけた時とつけない時の声の状態を比べてみて、あまり変化がみられない場合には、専門機関への相談が必要だと思われます。】