梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

乳幼児の育て方・Ⅲ・「聞こえない」ことと「聞こうとしない」ことの違い

【1歳頃から2歳頃まで】 
 名前を呼んでも振り返らない、話しかけても反応がない、ことばを全然おぼえない、聞きわけがなくしつけができない、言いたいことをことばで表せない、といった「事実」があると、まず疑ってみるのは「耳のきこえ」です。そして事実、そのような場合には、いずれにせよ「耳のきこえ」に問題があるのです。ただし、その問題とは次の三つの内容をふくみます。
①耳は聞こえているが、音や音声に対して興味・関心がうすく(恐怖感をもっていたりすることもある)聞こうとする「気持ち」が育っていない。むしろ「聞くまい」という気持ちが強い。その結果「聞こえない」のと同じか、またはそれに近い状態になっている。
②耳は聞こえているが、音や声を聞いておぼえる力や、音や声の違いを聞き分ける力が十分に育っていない。つまり、耳をうまく働かせることができない。
③耳は普通のようには聞こえていない。
 したがって、お子さんの「耳のきこえ」の問題が、そのうちのどれに該当するかを見分けることが最も重要になります。しかし、まだこの時期のお子さんは、はっきりそれと断定することは危険であり、おおよその見当をつけながら長期間にわたって観察することが必要になります。
 さて、お子さんが今それぞれの問題をもっていた場合、「どのような聞こえ方」をしているのでしょうか。 
 まず①の場合は、ちょうど全く興味のないラジオやテレビを長時間、聞かされ続けているような状態になるでしょう。若者が謡曲を聞かされるような、お年寄りがモダンジャズを聞かされるような、そんな状態と似ているのではないでしょうか。思わずスイッチを切りたくなるでしょう。でももし、切っても切っても「聞こえてくる」としたらどうなるでしょう。耳をふさぐか、その場を逃げ出すかもしれませんね。それでも「聞こえてくる」としたら・・・。もうどうなるかおわかりでしょう。
 ②の場合は、どうでしょうか。それは、好きな洋画を字幕無しで見るような状態に似ているでしょう。今、目の前で起きている出来事には興味あるけど「何と言っているのかわからない」「もうすこしゆっくり言ってくれればわかるのに速すぎてわからない」「もう一度くりかえしてくれればいいのに」といった状態で聞いていることが考えられます。
 ③の場合は、好きなテレビのボリュームをほとんど聞こえない状態か、雑音が入ってはっきり聞こえない状態にして見るのに似ているでしょう。この場合でも、せっかくのおもしろさが半減して、もう見るのはやめようとあきらめてしまうことには変わりありません。 【「難聴」とは、③のような場合をいいます。ところが、この場合は複雑な問題をはらんでいます。つまり、①や②だけの場合は③をふくみませんが、③の場合は①や②の問題を「同時に」ふくんでしまうことが多いのです。いいかえれば、耳が普通のように聞こえないために、音や声に対する関心が乏しく、たとえ聞こえる状態になったとしても聞こうとしない、あるいは、たとえ聞こえる状態になったとしても聞いておぼえる力がたりない、といった問題です。そればかりか、音や声に対する興味・関心はもとより、人間にまつわる物事に興味・関心が育っていないので、①なのか③なのか判断がつけにくいというお子さんも多いのです。そのような場合には、まず①の問題を改善することが先決です。   お子さんは、耳が普通のように聞こえないのかもしれません。しかしただそれだけならば、「聞こえているのに聞こうとしない」という問題ほど重大ではないのです。なぜなら、聞こえる状態になりさえすれば、聞こうとする気持ちが起こってきて、すぐにでも音や声、ことばを聞く学習をはじめることができるからです。】
 お子さんの問題は、単純に「耳が普通のように聞こえない」ということだけでしょうか。それは、お子さんの表情、視線、しぐさなどを見ればある程度の見当がつきます。お母さんや他人の顔をまっすぐに見る子、笑いかけると笑いかえす子、お母さんのすることをまねしようとする子、指をさして教える子、手まねで伝えようとする子、ひとつのことに集中できる子、他の子どもに興味があり近寄ろうとする子、などはまず安心です。
 もし、そのようなことがみられないお子さんの場合には、ただ単に「聞こえる」状態にしても問題の改善は図れません。その前に、人との「やりとり」をしようとする気持ちが育っていないからです。 
 お子さんは「聞こえない」のかもしれません。しかし、「聞こえる」ようになれば、「聞こうとする」でしょうか、それが問題です。