梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

乳幼児の育て方・Ⅱ・なによりも「人の声」が大切

【3ヶ月頃から12ヶ月頃まで】
 デパートのおもちゃ売り場へ行くと、数え切れないくらいいろいろなおもちゃが並んでいます。しかし、このころ(乳児期)の赤ちゃんのものとなると、おのずと限定されてきて、品物はたくさんあっても、いくつかの種類に分類されてしまいます。その一は、音の出るおもちゃで、赤ちゃんが「聞いたり見たりして楽しむ」ものです。その二は、おしゃぶりの類で、中には振ると音の出るものもあります。その三は「指でいじったり、つかんだりして楽しむ」おもちゃです。その四は、「たっちしたりあんよしたりすることの補助をする」おもちゃです。
 さて、赤ちゃんの感覚器官の中で最も早く働きはじめるのは皮膚感覚(触覚)です。生後まもない赤ちゃんでも、口の中に物を入れると「反射的」に吸おうとします。そして口の中の皮膚感覚を使って楽しむことを学ぶようになります。また、もっと後になって(5~6ヶ月頃)手がよく動くようになると「何でも口に入れる」ことが多くなります。これは、まだ物を知るとき「見ただけ」ではどんなものかはっきりしないので「口の中の皮膚感覚」で確かめている、といわれています。あんよができるようになると、「何でも手でいじりたがる」時期がきます。これも「見ただけ」ではどんなものかはっきりしないので「手の触覚」で確かめているのです。私たちおとなであっても、洋服の生地を買うときなど「手にとって」確かめることをしています。このように、皮膚感覚は、感覚器官の中ででも重要な働きをしています。
 次に働きはじめる感覚器官は、耳(聴覚)です。次が、やや遅れて目(視覚)ということになります。この耳と目の働きで特徴的なことは、どちらも「離れたところから物を知る」手段であり、またお互いに補い合ってはじめて「物がはっきりわかる」ということです。【この特徴を知ることは、聴覚に障害のある赤ちゃんを育てるうえで、きわめて重要なポイントになると思われます。まず「離れたところから物を知る」ということは、赤ちゃんの方に「物を知ろう」という態勢ができていなければ、つまり一定の集中力や「物を選択する力」(今、知ろうとしているものは《あれ》ではなく《これ》なのだと見分ける力)が育っていなければうまくできません。また「離れたところから物を知る」とき、私たちは「見ながら《同時に》聞いている」のです。あるいは「聞きながら《同時に》見ている」のです。どちらか一方が欠けていたら。「十分に物を知る」ことができません。そればかりか、欠けていない方の働きも十分ではなくなってしまうのです。聴覚に障害のある赤ちゃんは、「見る働き」も、聞こえる赤ちゃんに比べて十分ではないだろう、ということを考えておく必要があるでしょう。】
 さて、では赤ちゃんの「物を知ろう」という態勢はどのようにしてできあがるのでしょうか。もちろん、それははじめから赤ちゃんの中に備わっているものではありません。お母さんとの数え切れないかかわり合いの中で、次第次第に確かなものになっていくのです。はじめ、赤ちゃんの中にあるものは「反射」という活動です。大きな音がすると、ピクッと手が動いたり、まぶたが動いたりします。目が見えたり、首が動いたりするようになると、「音のした方をさがす」ということもするようになります。そのことによって、赤ちゃんは「聞く働き」と「見る働き」を結びつけることができるようになり、「聞きながら同時に見る」という「離れたところから物を知る」ための基礎的な活動を学びます。しかし、まだこの段階では、赤ちゃんの活動は受け身です。周囲で生じる様々な偶然の物音や、おとなが買ってきてくれた音の出るおもちゃを、一方的に「聞かせられたり」「見せられたりしているのです。とはいえ、この受け身の活動はきわめて重要です。その中でさまざまな物と音との対応を知り、あれの音はあんな音、これの音はこんな音がするのだということを学んでいくのです。赤ちゃんの手が自由に動くようになると、テーブルの上の物を落としたり。お茶碗をたたいて喜んだりするようになります。これも、物と音との対応を知る学習なのです。この頃になると、おとなはタイコやフエなどを買ってきて与えたりします。赤ちゃんの方も、今まではとても喜んでいたオルゴールやガラガラなどは見向きもしなくなったりします。それは、赤ちゃんの中に「音を区別する力」が育ってきたことを意味します。
 通常、8ヶ月を過ぎると、赤ちゃんの中に大きな変化がおこります。それは、さまざまな音の中で「お母さんの話しことば」だけは、特別に「じっと聞き入る」ような様子が見えはじめてくるのです。これは、赤ちゃんの中に「物を知ろう」という態勢が「しっかり」できあがってきたことを意味します。つまり、さまざまな物音の中で、「お母さんの話しことば」だけは自分にとって特別興味深く大切なものだ、という「物を選択する力」が育ってきたのです。そして、その力こそが「ことばを学ぶ」うえで、最も重要な力になるのです。
 【では、聴覚に障害のある赤ちゃんに、そのような「物を知ろう」という態勢づくりをしようとするとき、どのようなことに気をつけなければならないでしょうか。
 まず第一に、「物を知ろう」という気持ちは「ゆとりのある安心感」からしか生まれないとことを知ることです。不安で泣き叫んでいる赤ちゃんに、何を見せても、何を聞かせても、すべて無駄です。それは、私たちでも同じことで、家族の一人が交通事故にあったことを知らされて、のんびり映画など観ていることができないのと全く同じことです。したがって、赤ちゃんが「ゆとりある安心感」をもっている時間をできるだけ長くする工夫が必要です。
 第二に、音をこわがったりすることはないかを観察することが必要です。生後まもない頃は物音にとても敏感だったが、ある時期から全く反応しなくなった、というような赤ちゃんもいます。その場合は、まだ「離れたところから物を知る」だけの「ゆとり」がなく、皮膚感覚で物を知ったり、やりとりをしたいと思っている段階だと考えられます。したがって、当面は、音を聞かせることを中止し、お母さんと体のふれあいを中心とした遊びを多くし、「ゆとりある安心感」をもてるようにすることが必要です。
 第三に、赤ちゃんにどんな音を聞かせたら、どんな様子を見せたか、ということをお母さん自身がきちんと記録にとどめておくことが必要です。「ある音がしたら決まってこんな様子をする」という事実が多くなればなるほど、赤ちゃんはいろいろな音の種類よ範囲を経験し、学習していることのなるからです。
 第四に、赤ちゃんが楽しんだりうれしい表情をしている時は、必ず《同時に》「お母さんの声を聞かせる」ということです。赤ちゃんにとって「楽しい」ことと「お母さんの声」が結びつくようにするのです。そうすれば「お母さんの声」を心待ちにするような気持ちが芽生え、それを特別なものとして他の物音から区別することができるようになると考えられるからです。赤ちゃんは、耳のきこえが悪いのかもしれません。しかし、だから「音を聞かせても無駄だ」「話しかけても無駄だ」と考えてしまうことは、すべてを無に帰してしまうでしょう。赤ちゃんに聴覚障害があっても、それだからこそなおさら、聞かせ、話しかけ、健聴児と同じように扱わなければいけません。赤ちゃんは、ちゃんと赤ちゃんなりに喜んで反応し、わかってくれるのです。】