梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

乳幼児の育て方・Ⅰ・「抱きぐせ」と「添い寝」

【誕生から3ヶ月頃まで】
 おなかがすいているわけではない、おむつが汚れているわけでもない、それなのに赤ちゃんが泣いています。そばへ行ってお母さんが「抱っこ」するとケロリと泣き止んでしまう、やれやれと思ってベッドにおろそうとすると、また泣き出す。このようになってしまうことを、「抱きぐせ」がつくといいます。そして一度「抱きぐせ」がついてしまうと、おそうじや、おせんたくなどの家の仕事が山ほどあるのに、全くはかどらなくなってしまうでしょう。そんなわけで、世のお母さんたちは、この「抱きぐせ」をあまり歓迎しないようです。また、赤ちゃんに早くから「独立心」をやしなうためにも、甘やかさにことが大切であり、「抱きぐせ」はつけない方がよい、という考え方もあります。
 さて、あなたならどう考えますか。赤ちゃんを育てるうえで最も大切なことは、つねに、赤ちゃんの状態を的確につかみ、その状態を少しでも生き生きした状態へと高めてあげるような「手助け」ではないでしょうか。そのためには、いつも赤ちゃんの立場で、赤ちゃんの気持ちになってものごとを考える必要があります。
 今、赤ちゃんが泣いているとすれば、それは赤ちゃんにとって明らかに「不快な状態」が生じているからです。それが単なる空腹などの生理的な不快感であるか否かにかかわらず、お母さんはそれを取り除いてあげることが必要でしょう。赤ちゃんは「たいくつ」しているのかもしれません。「さびしい」のかもしれません。お母さんに「抱っこ」されて、いろいろなものをながめてみたいのかもしれません。いずれにせよ、赤ちゃんは今、「お母さんを必要としている」のです。そうした赤ちゃんの「必要感」が満たされなくても、別に命にかかわることはないでしょう。しかし、赤ちゃんの「こころの発達」という観点から考えると、これは大きなマイナスなのです。呼んでも呼んでもお母さんがそばに来てくれないとすれば、赤ちゃんはどんな気持ちになるでしょう。お母さんが今どんなに忙しいか、また自分に「独立心」をやしなってくれようとして「知らんふり」をしているなどと考えるすべもありません。何度か泣き続けたあと、もうくたびれてしまい、泣いてみても何の変化もなかったことを悟ります。そしてだんだんと「泣くこと」をやめてしまうかもしれません。ということは、お母さんにとってはとても育てやすい赤ちゃんに変わっていくことでしょうが、逆に赤ちゃんにしてみれば「もうお母さんが必要でなくなってしまう」ことであり、お母さんに対する「不信感」が芽生えることを意味するのです。
 【このころの赤ちゃんにとって大切なことは、安定した生活のリズムを体得し、日一日とたくましい体力を身につけていくことであることはいうまでもありませんが、それにもまして「人間」について知り、「人とのかかわり合い」を学んでいくことなのです。だとすれば、もし赤ちゃんの聴覚に障害がある場合、極めて不利な状況に立たされることは明らかです。周囲からの情報の中で、耳から取り入れるものは極度に制限され、そのぶんだけ周囲の「なりゆき」から遠ざけられてしまうからです。とりわけ「人の立ち居振る舞いの物音」「声」などを十分に聞き取ることができないとすれば、それだけ「人間」に関する学習は遅れてしまうでしょう。
 そんなわけで、聴覚に障害がある赤ちゃんにとっては、まずお母さんとの密着した「かかわり」が何よりも必要であり、お母さんは赤ちゃんと周囲の音の世界の状況との間に、パイプを通し、両者の情報交換がよりスムーズに行えるような「手助け」をする必要があるのです。つまり、赤ちゃんにとって「自分の欲求に必要だと感じられるお母さん」であることが、聴覚の訓練ともつながる大切なことだといえましょう。】
 「抱きぐせ」がついたからといって、「甘えぐせ」がついたことにはなりません。「お母さん、ちょっと来てよ。抱っこして、ボク(ワタシ)にいろいろな音のある世界の面白さを味わわせたり、見せたりしてちょうだい。何かおもしろいことをして、ボク(ワタシ)を楽しませてよ!」、赤ちゃんはそう叫んでいるのです。この赤ちゃんの要求に「無条件に」応えてあげることによって、赤ちゃんとお母さんの「こころの絆」はしっかりと結ばれ、これからの家庭生活(社会生活)の土台が着実につちかわれていくことになるのです。
 赤ちゃんが眠りに入る時の状態も、事情は全く同じです。ひとりで機嫌よく眠ってしまう赤ちゃんよりも、お母さんに「抱っこ」されなければ眠らない、お母さんと体が触れあっていなければ眠らない、という赤ちゃんの方が、むしろ「お母さんを必要としている」のではないでしょうか。その状態が何十年も続くわけではありません、心配は御無用なのです。(1977.1.10)