梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

『「自閉」をひらく 母子関係の発達障害と感覚統合訓練』(つくも幼児教室編・風媒社・1980年)精読・29

《3.診断の実例 1(『愛の奇跡」のアン』》
・現実に子どもを相手にするのでないから、第2の方法である設定刺激は利用できない。◆診断の結果
●平衡感覚《鈍い》・特定のイスにかけて何時間もゆすっている。・ブランコを何時間も乗っている、大きく前後に揺すって喜ぶ
●皮膚感覚《鋭い》・(触覚)→・抱き上げられるのを極度に嫌う。・新しい服、帽子、靴を身につけるのを嫌い、引きちぎろうとする。・手をつなぐのを嫌がる。・砂浜を歩くのを嫌がる。・砂浜を跳ね回り、砂を両手にすくって遊ぶ。《鈍い》・(痛覚)→・家具にぶつかったり転んだりしても痛がらない。・頭を壁に激しく打ちつける。・自分の髪の毛をむしり取る。(水感覚)小さな池に入り大喜びする。
●味覚《混乱》→・特定の乳首と哺乳びんを放さない。・自分から食べようとしない。
●嗅覚《鈍い》→・食べ物を食べる前に必ずにおいをかぐ。
●聴覚《鋭い》→・クラシックとポップスを敏感に聞き分ける。・小声でささやくように話すと反応あり。1回聞いただけで曲を覚える。・電気掃除機の音をこわがる。大きな声で名前を呼んでも反応なし。
●視覚《鋭い》→・何時間も天井の電灯をじっと凝視。・一匹の大きな犬に目の前に飛び出されて叫び声をあげる。・小さな居間の壁を張り替えたのを嫌った。・並木と広々としたみずみずしい芝生をこわがる。・積木を一列に並べる。・赤色を恐れる。《混乱》→・特定のイス以外にかけるのを拒む(イスの脚が前後に動いてあぶなかったからとのちに説明する)。・突然ケラケラと笑い出す(ぬいぐるみのクマが壁ぎわを歩いたり、踊っているからとのちに説明する)。・どしんどしんと歩く(歩道がぬかっていて、足がぬかるみにはまりこまないようにするためとのちに説明する。
*この結果は、もしかしたらこういう感覚障害があるかもしれない、といった程度の信頼性しか持ち合わせていない。最初はそれでよいのである。診断と訓練とを反復していく中で、しだいに正しい診断に近づくことができる。
・アンのように感受性の過敏さが目立つこどもであっても、同時に過鈍な部分が必ずといってよいほど共存しているものである。また、皮膚感覚の中で、触覚が鋭いが痛覚が鈍いというように感覚の種類によって障害の質が違うことは当然あり得ることである。あるいは視覚の場合ように、鋭さと混乱が共存していることもあり得る。しかし、同一種類の感覚について鋭さと鈍さが共存することはまずない。
・アンの場合のように話しかけても反応がないことから一見聴覚の鈍さを疑わせる子どもは多いが、事実はむしろ逆であって、鋭い聴覚を持っている場合の防衛反応である場合が多い。強すぎる刺激から自分を守るための内在的な感覚遮断であると考えられる。
【感想】
・前述したが、治療教育における「教育的診断」(診断的治療)とは、①まず子どもの実態を把握し、「できること」「できないこと」を整理して、問題点を明確にすることである。②次に、その問題点がどんな要因で生じているかを考察(予測)することである。③さらに、その要因と思われる事柄をどのようにして取り除けばよいか、仮説(指導方針)をたてることである。④最後に、その仮説を検証(指導の試行を)する。その繰り返しが「教育的診断」のプロセスである。
・そうした観点から、「診断の実例」を読むと、まだ①の段階にとどまったままであるように感じられた。たしかに、それぞれの感覚においてどのような質の障害が生じているかは「整理」されていたが、それらがどのような「要因」で生じているかについては判然としなかった。もっとも、著者らの立場からすれば、「それは言わずもがな」、子ども自身に感覚障害があるから、ということになるのだろう。③、④については次章「統合訓練の方法」で述べられることを期待したい。(2016.4.16)