梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

『「自閉」をひらく 母子関係の発達障害と感覚統合訓練』(つくも幼児教室編・風媒社・1980年)精読・25

《5.『愛の奇跡』(ホッジス手記、コープランド著述・篠崎書林・昭和50年)のアン》
・1973年イギリスで出版され、1975年わが国で翻訳されたこの本が私たちの関心をひくきわめてユニークな点は、両親の愛の「しごき」によって少女が自閉の壁を打ち破り、大きく成長することができたという点である。
◆アンは1953年の1月に誕生した。生まれたときははだかのままベッドの端に寝かされていたが、外に面したドアを閉め忘れたため、数分とたたないうちに、こごえてまっさおになってしまった。何か月かたつにつれて、アンは周囲に対してまったく無関心であることがはっきりした。両親はあちらこちらの病院を回って歩いたが、当時は自閉症については医師のあいだでもよく知られていなかった。アンは7歳になる前に、精神分裂症で、性格異常であって、親が望むならば施設に収容するもよし、という宣告を受けた。あきらめることを知らない父親は、偶然のきっかけからアンの「しごき」を思いついた。アンがいうことを聞かなければおしりをピシャッと激しく打ち、いうことを聞けば抱きしめてあげる、というものである。アンの物語を紹介している著者は、両親ははからずも、賞と罰という「今日自閉症児の効果的訓練法と考えられている方法にめぐりあったのだ」と書いている。
*それより早く、アンが外の世界を見たり聞いたりする方法は普通の人間とは違う、普通の人があたり前のこととして受け入れていることがアンには大きな恐怖を与えているように見えるということに両親が気づいたのは興味深いことだ。時は1950年代のことであり、研究者のあいだにまだ自閉を感覚障害としてとらえる考えかたがなかったころだから、親なればこその洞察だといえる。アンに対する「しごき」は、こうした理解をもとに行われたのだということを、最初に念頭に入れておく必要がある。
*本に書かれていることからアンの障害をうかがわせる記述を抜き出してみると、アンには、鋭すぎる触覚、鈍すぎる痛覚、鈍すぎる平衡感覚、混乱した味覚、鈍すぎる嗅覚、鋭すぎる聴覚、鋭すぎる視覚、混乱した視覚などの感覚障害があったのではないかと推測される。この診断の結果と、著者のいう賞と罰とを比べてみると、意外なことがわかる。
●両親の「強くたたく」という《罰》は「鈍すぎる痛覚」を刺激する→《快感》
●両親の「抱きしめる」という《賞》は「鋭すぎる触覚」を刺激する→《苦痛》
*アンにとって罰にならない「罰」がなぜ効果をあげたのか?ピシャッと激しくたたかれたアンは、なぜ「ギャー」という叫び声をやめたのか?くりかえしたたかれていくうちに、なぜアンはしだいに泣き叫ぶのをやめ、かわりに涙・・ほんとうの涙・・が静かにほおを伝わり始めたのか?もしたたくかわりに、罰としてアンがじっさいにいやがっていた赤い色の物を見せつけることなどを用いたら、どうなっていたか?
*「しごき」は賞と罰による方法だった、などと単純にいいきれるものでないことがわかる。
・両親がアンの必要としていた痛覚刺激を送り込むことによって、アンの感覚回路は一時的に、ある程度正常化し、その結果両親の気持ちが通じやすくなったのだ、と考えられないか。もし、この推理が正しければ、アンに用いられたのと同じ方法は、鋭すぎる痛覚を持つ子どもにはかえって逆の効果をもたらすに違いない。
・アンの両親はただがむしゃらに「しごき」をしようとしたのではなく、アンの障害に対する理解をもとに、さまざまな創意工夫を凝らして「しごき」を展開したのだ、ということにも注目する必要がある。
●鋭すぎる視覚のために大きな、赤い物(=バス)をこわがっていたアンにたいしては、赤い浴用スポンジから始めて、つぎつぎと周囲を赤い家庭用品で埋めつくしていくことによって、まずは小さな赤い物に慣れさせ、次に大きなイギリス国旗を部屋いっぱいに拡げて、その上を歩かせる、という手順を踏んでいる。旗の上をむりやり歩かせるのではなく、つま先立ちで赤い部分を避けて歩くというアンの思いつきをゲームとしてくりかえし楽しみながら、ついにアンが足元をぐらつかせて旗の上に倒れてしまうまで待つゆとりさえ持っていた。
●鋭すぎる聴覚にために、ふつうの声には反応しないのに、ささやくように話しかけられたときだけ反応することがわかったときには、両親は「しごき」によってアンを強い聴覚刺激に慣らそうとするよりは、さしあたり鋭すぎる聴覚はそのままに、ささやき声でアンにことばを教える、という柔軟な方法を選んでいる。
・アンの家族のやりかたをたんにひとつひとつそのまままねればよいはずはないが、私たちが私たちの子どもに合ったやりかたを見いだそうとするとき、それらは大いに参考になる。
・アンが成長してモデルになり、他の自閉児や親の力になるほどに障害を乗り越えることができたのは、障害の程度や質によることも多分あるかもしれないが、それにもかかわらずアンとその家族による21年にわたる物語は、私たちに勇気と希望を与えてくれる。
【感想】
・著者は、『愛の奇跡』という著書の《要点》について、かなり詳細に紹介し、その物語は「私たちに勇気と希望を与えてくれる」と結んでいる。
・私自身は、「アンは7歳になる前に、精神分裂病で、性格異常であって、親が望むなら施設に収容するもよし、という宣告を受けた」父親が、あきらめることを知らずに「偶然のきっかけからアンの『しごき』を思いついた」というくだりが大変興味深かった。「しごき」は結果として《両親の気持ちがアンと通じやすくなった》のではないか、という著者の推測に、私も全面的に同意する。「しごき」とは両親とアンのコミュニケーションの手段だったのである。さらに、両親はさまざまな創意工夫によって、アンの感覚回路を正常化することができた。著者自身が「それらは大いに参考になる」と評しているのだからその創意工夫は「感覚統合訓練」と大差はないかもしれない。しかし、両親が「あきらめなかった」最大の理由は、アンの感覚異常を改善しようとする以上に「娘と気持ちを通じ合いたい」という思いが強かったのではないだろうか。それは、「愛着関係構築」への願いと言い換えられる。
・著者は(私も)『愛の奇跡』から、勇気と希望を与えられたが、自閉症児を持つ親の反応はどうだろうか。前章の【感想】で触れた「親の目からみた自閉症に対する問題書籍」では、この本を「注意して読むべき書籍」に挙げており、以下のように記されていた。〈この本はまだ自閉症というものが、社会的に認知されていなかった時代、何の知識も持たなかった両親が懸命に努力して、育てあげてきた愛の物語です。そう、感動のストーリーとして読む分にはすばらしいものがあります。ただ自閉症児を持つ親としては、「今やアンは正常で、美しい娘に成長した」とか「完全に治ったアン」のポートレートとか言われると、ちょっと待てよ、と思わざるを得ません。親として、この本を絵空事だと完全に否定する気になれません。いろんな親御さんと話してみると、「ある朝子どもに、オハヨウと起こされた、ふと見ると子どもはすっかり治って普通の子になっていた」という夢をみんな一度は見たことがあるという事です。そんな親にとって、この話は夢です。あこがれです。・・・だからこそ、断腸の思いで、ここに注意すべき本として挙げさせてもらいました。夢も大事ですが、今の私たちにとってそんな奇跡にあこがれるよりも、日々の地道な努力が必要と思えたからです。ましてこの本の、「しごき」による教育法、意識的に「ぶつ」ことで食事の習慣を教えることができ、そしてそれをきっかけにこの奇跡が始まった、という箇所には、読みこなすのに細心の注意が必要と思えます。安易にそこだけ真似して、悲惨な状態がおこらないよう願っています〉。
 というわけで、この物語は「夢に過ぎない」という評価を受けているようだ。この筆者は、アンの両親について「自閉症というものが、社会的に認知されていなかった時代、何の知識も持たなかった(両親が・・・)」と述べているが、「自閉症に関する知識」とは何だろうか。また、その知識は、今、「自閉症児を持つ親」に対してどのような役割を果たしているのだろうか。自閉症の原因は、子どもの側にある。それは「脳の機能障害である」。だから、現在の医療では「自閉症は治らない」。しかし「教育」によって、その子の能力に応じた「成長・発達」は期待できる。最近では「自閉症スペクトラム」という概念が導入され、自閉症は「連続体」である、等々。
・この著書の「まえがき」で阿部秀雄氏は「現状ではその本態も原因も治療の方法もほとんどわかっていない」と述べているように、自閉症に関する「知識」は、1950年代と比べて、それほど進化していないのが現状ではないか。この著書は1979年の発刊だが、それから36年経った今でも、文部科学省のホームページには13年前(2003年)の定義が以下のように記されている。「自閉症とは、3歳位までに現れ、1他人との社会的関係の形成の困難さ、2言葉の発達の遅れ、3興味や関心が狭く特定のものにこだわることを特徴とする行動の障害であり、中枢神経系に何らかの要因による機能不全があると推定される」。つまり、自閉症の原因は《推定される》だけで《解明され、断定されている》わけではない。いいかえれば、今もまだ「ほとんどわかっていない」のである。にもかかわらず、「自閉症児をもつ親」たちは、アンの両親以上の「知識」を持っていることになる。その「知識」が、アンの物語から「勇気と希望」を与えられることを拒否するのではないか。「夢も大事ですが、今の私たちにとってそんな奇跡にあこがれるよりも、日々の地道な努力が必要と思えたからです」とある。しかし、アンの両親は「あきらめることを知らず」、アンの言動をつぶさに観察することによって「気づき」試行錯誤・創意工夫を21年間重ねた。そのことこそが「日々の地道な努力」に他ならないと私は思う。〈ましてこの本の、「しごき」による教育法、意識的に「ぶつ」ことで食事の習慣を教えることができ、そしてそれをきっかけにこの奇跡が始まった、という箇所には、読みこなすのに細心の注意が必要と思えます。安易にそこだけ真似して、悲惨な状態がおこらないよう願っています〉というくだりは同感だが、「しごき」と思われる行為が、実は「アンの感覚回路を一時的に、ある程度正常化する」ことにつながっていた、ということが「奇跡」だということが見落とされているように思われる。阿部秀雄氏は〈アンの両親はただがむしゃらに「しごき」をしようとしたのではなく、アンの障害に対する理解をもとに、さまざまな創意工夫を凝らして「しごき」を展開したのだ、ということにも注目する必要がある〉と述べている。「アンの障害に対する理解」を《知識》によってではなく、「あきらめることを知らない」(不断の)《観察》と《経験》、さらには「気持ちを通じ合えるようになりたい」という強い《願い》と《意志》によって行ったことが、奇跡的な結果をもたらしたのではないだろうか。アンの両親には「夢」も「あこがれ」も「知識」もなかったが、《あきらめることを知らない》「意志」と「愛」があったことはたしかであると、私は思う。
(2016.4.12)