梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

『「自閉」をひらく 母子関係の発達障害と感覚統合訓練』(つくも幼児教室編・風媒社・1980年)精読・26

【中間的総括】(感想)
・以上で「第1部 理論」の各章を読み終えた。ウィング理論、田口理論を著者らの批判を交えながら、「感覚統合」を提唱する論述はわかりやすく、たいへん参考になった。
・私が最も知りたかったのは、「母子関係」と「感覚障害」の《関連性》、つまり①母子関係が形成されないと感覚障害が生じることがあるか、②感覚障害があると「必ず」母子関係の形成が妨げられるか、という2点であったが、それらは残念ながら判然としなかった。阿部秀雄氏も「まえがき」で〈ただ、理学療法士の清水啓先生からいただいた、感覚障害や母子関係という概念を神経発達学的に明確にせよという重要な助言に対しては、私たちの能力の限界から、本書ではまったく応えることができなかったのがかえすがえすも残念であった〉と述べている。清水氏の「神経発達学的に明確にせよ」という助言と、私が知りたい2点の間に《共通性》があるかどうかは不明だが、「私たちの能力の限界」とは何かについて、私の「独断・偏見」を述べたい。
・自閉症児の研究は、「自閉症児」だけを対象にする「偏り」が感じられる。「親」を対象にした調査研究はほとんど見当たらない。わずかに、『障害乳幼児の発達研究』(J・ヘルムート編・岩本憲監訳・黎明書房・昭和50年)の中に「正常幼児と異常行動をもつ幼児の母子相互関係の比較」(ナーマンH.グリーンベルグ)という論文があった。そこでは「幼児ー母親の相互交渉」場面を映写し、その記録を分析しながら、普通幼児群と異常幼児群の「実際」を比較検討した結果が述べられている。その場面は、①入室から10分間の自発行動、②母親による授乳、10分間、③2人に他人が加わる、5分間、④母親が部屋を出て、他人と2人だけになる、5分間、⑤他人が部屋を去り、幼児が1人になる、5分間、⑥母親が帰室して再会する、5分間という構成である。①においては、普通幼児群の母子が、そこにある玩具や人形を使って「楽しい」時間を過ごしたのに対して、異常幼児群の母子交渉は、動きが少なく、単調であり、遊びも貧弱で「組織的」に発展していかなかった。母親の表情は固く、微笑み、笑いかけは見られなかった。②においては、母親からの刺激作用によって「かまわれ過ぎて」いる。③においては、普通幼児群の全部が「泣き出し」「母親にすがろう」としたのに対して、異常幼児群の反応はまちまちであり、「無反応」な子どももいた。その子どもたちは、母親が帰室し再会したときも「無反応」であった、ということが記されている。研究の結びの「Ⅷ 討議」としては、以下のように述べられていた。
●幼児ー母親対の2つの群の相互交渉のパタンにかなり明白な差異がある。
●これらの研究において集められた資料から、異常行動、異常発達、悩まされそしてしばしば引きこもった母親、赤ん坊の世話や扱いの軽視と虐待、そして多様な個人的、家族的、生活状況的困難、これらが交錯していることがわかった。
●異常行動と異常発達は、不十分な、誤った、あるいは極端な刺激によって誘発され維持される。
●正常な分化と適応の発展に適した環境において、豊かな刺激作用が与えられるということは当然である。適度の強さの刺激作用が反復され、恒常と新奇とのバランスに富み、幼児の状態と要求に適切に提供される。刺激作用の水準は、変化に富むことを必要とするが、過度の刺激作用とか刺激作用の欠如のような両極端を含む必要はないのである。
・この研究の「異常行動をもつ幼児」とは、年齢30カ月未満で、①「哺乳と胃腸系の異常、排泄の障害、身体運動の律動性(常同性)」、②「習慣形成の障害(睡眠障害、くせ)、行動面の誇張表現または興奮」、③「情緒表出の障害、異常な発達的パタン、初期の事物との関係の障害(回避反応など)、他の身体的(内臓的)障害(皮膚病、呼吸病など)」のうち1つ以上の異常状態をもつ、とされており「自閉症児」は③に該当すると思われる。・この研究では、「異常行動と異常発達は、不十分な、誤った、あるいは極端な刺激によって誘発され維持される」と述べられているが、私はその「結論」ではなく、「方法」の方に関心がある。はたして、今の時代、「《幼児ー母親の相互交渉》場面を映写し、その記録を分析しながら、普通幼児群と異常幼児群の「実際」を比較検討する、という方法が実現可能であろうか。まず、母親の同意・全面的な協力が不可欠だが、それは母親自身が研究の対象になることを意味する。まして「母親による授乳場面」を「10分間」映写・視聴することなどは「人権・プライバシーの侵害」だと抗議されることは必定であろう。
 かくて「母子関係」の実態・真相を研究者が探ることは「不可能」に近いことになる。・したがって、阿部氏の言う「私たちの能力の限界」とは、臨床場面以外では「母子関係の実態を知り得ない」ということではないだろうか。
・現代では、自閉症スペクトラムを含めて「発達障害の原因は脳機能の障害とされていますが、なぜ脳機能障害が起こるのかということは、はっきりとしていません。わが子の発達障害が発覚して、自分を責めてしまう母親もいますが、しつけや育て方、環境などが原因ではありません。本人の怠慢などでもありません。」(インターネット記事・「発達障害療育の糸口」より引用)という考えが「通説」となっており、「しつけや育て方、環境などが原因ではありません」と《断定》している。しかしその根拠は何だろうか。それはただ一点、「母親や本人が自分を責めないように」し、育児不安・うつ病発症といった「二次障害」を防ぐためだと思われる。「しつけや育て方、環境などが原因ではありません」と言われることで母親の「二次障害」は防げるかもしれないが、その途端に、問題の責任を子ども自身が負うことにはならないか。親が「しつけや育て方、環境」を変えることによって、子どもの問題が軽減・改善した事例はまったく見当たらないのだろうか。阿部秀雄氏も「まえがき」で「母子関係の重要性を強調することは、母親の養育態度に自閉の原因を求めることとはまったく別個のことである」と述べているが、今、最も大切なことは「母親が自分を責めないで」「自分と子どもの関係を《冷静に》《客観的に》見直すこと」であり、そのためには母親と臨床家・研究者が《胸襟を開いて》子どもの問題を解決に取り組む「信頼関係」を築くことが先決ではないだろうか、と私は思う。
(2016.4.13)