梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

『「自閉」をひらく 母子関係の発達障害と感覚統合訓練』(つくも幼児教室編・風媒社・1980年)精読・23

《3.原始感覚と弁別感覚》
・セガンは、触覚を例に取りながら「同一感覚の二種の作用」(1866年)(『障害児の治療と教育』(ミネルヴァ書房・昭和48年)に言及して次のように述べている。
◆触覚には、1つ以上の感覚が含まれている。1つは触覚そのものを形成する感覚の受容器官として、今1つは、接触という名に値する感覚を受けとるものとして、考えればよいのである。前者の感覚によって、誰かに触られていることを感覚する。第2の感覚によって、触れている物体の特性や特徴を探るのである。これは2つの感覚を意味するものではなく、同一感覚の2種の作用を意味するものである。他の感覚についても同じことが言える。もし、われわれの訓練を自然の作用様式に一致させることができるなら、感覚を目覚めさせる仕事が、比較的容易であることがわかるだろう。
・触覚には「誰かに触られている」というだけの働きと「触れている物体の特性や特徴を探る」働きという「同一感覚の2種の作用」があり、そのことは他の諸感覚についても同様に言えること、そしてこの「自然の作用様式」に従って訓練を進めて行くのが望ましい、というのである。
・私たちも、まずは(能動的、弁別的な水準以前の)受動的、原始的な水準での障害を問題にする。
・セガンはこの水準における感覚器官のさまざまな実例を紹介している。
◆触覚の鈍さに起因する異常行動として「触覚の鈍さのゆえに、精神薄弱児の中には明らかに嬉しくて止められないように、固い物に指を打ちつける者がいるし、骨の薄い額を人や物にぶつけて、まるで苦しむことが楽しみであるか、苦しみも悦びも共に感じないかのように、弾ませたり響かせたりする児もいる。
◆触覚の過敏な例として「蜂鳥のように敏感なので、何にも触れないし、手に何かの形で触れられると非常に苦しむ者がいる。また、足が非常に敏感で、一番薄い靴でも苦痛であり、最も柔らかいカーペットや床に触れても、まるで堪らないかのように、まるで燃えている石炭の上を歩いているかのようにとびあがることがある」
・セガンの言う感覚の過敏ないし過鈍とは、弁別能力の高低を言うのではなく、快・不快の感情体験と固く結び付いた水準での感受性を意味していることが行間に読みとれるであろう。私たちはこの点でもセガンと見解を同じくしている。
・セガン以前にはイタールが、感覚の二重の働きの認識に基づいた教育をアベロンの野生児に対して行っている。ユーゴーと名付けられたこの少年は、好物のくるみを砕く音こそ聞き逃さない聴力を備えていたが、概して感覚器官の感受性が極度に鈍かった。そこで、イタールはまず、「着物を着せ、床に入れ、暖房するばかりでなく、毎日高温の湯で2、3時間もかけて入浴させ、その間に何度も頭から熱い湯を注ぎかけた」(『アヴェロンの野生児(1801年)』(牧書店・昭和47年)といった熱刺激を与えるなどの方法を通じて感受性を目覚めさせ、しかるのちに、2つの物体ないし刺激を弁別する訓練に進んだのである。
・セガンの影響を強く受けたモンテッソーリの感覚教育は、第二水準での知覚教育が強調され、原始的な水準での統合訓練は軽視されてきたように思われる。これを原始感覚水準での統合が不十分な児童に対してただちに適用しようとすれば、たちまち困難に突き当たらざるを得ない。モンテッソーリの感覚教育に取り組むための前提条件を育てることこそ早期療育に与えられた課題だと思われる。
・セガンの洞察はヘンリー・ヘッドの理論に引き継がれる。エアーズによる紹介から引用すれば、ヘッドの理論の中心となるものは「原始系」と「判別系」という求心系の二重構造である。
◆系統発生的に古い原始系は、有害な刺激に対して生体に警告し、生体を保護する。刺激に対して情動的な反応(苦痛や喜び)を引き起こし、その結果刺激を避けたり求めたりする行動を生じさせる。他方、判別系はより高度な弁別機能に関与する。判別系は原始系を点検し、支配する機能をもつが、病的な状態では原始系よりも強く障害される傾向が強い。視床の機能障害のある場合には、くすぐられることが不快であったり、音楽や大きな音が苦痛をもたらしたり、逆に特定の快刺激に対する反応も強められるなど、刺激に対する極端な情緒的反応を特徴的に示す。(エアーズ『感覚統合と学習障害(1975年)』(協同医書出版社・昭和53年)
・ヘッドの理論を紹介しているエアーズ自身が、原始的な水準での感覚統合不全と弁別知覚や学習障害との関連を重視する現代における代表的な論客である。
・原始系と判別系という感覚機能の二重の水準は個々の感覚について認められるが、他方、感覚の種類によって原始的な性格の強い感覚群(平衡感覚、固有感覚、触覚その他の皮膚感覚)と弁別的な性格の強い感覚群(手先の触覚、聴覚、視覚)とに大別することができる。
・感覚統合の訓練において私たちが最も重視しているのは、原始的な性格の強い感覚群の原始的な水準における機能である。
【感想】
・ここでは、イタール、セガン、モンテッソーリ、ヘッド、エアーズの実践や理論を、わかりやすく紹介しながら、著者らは「原始的な性格の強い感覚群の原始的な水準における機能」を《最も重視》している、と述べている。《原始的な性格の強い感覚群》とは、平衡感覚、固有感覚、触覚その他の皮膚感覚である。
・平衡感覚とは「体がどちらを向いているか、どれくらい傾いているか、動いているかどうか、という情報を受け取る感覚」である。固有感覚とは、「四肢・体幹・頭がどのような位置関係になっているか、身体の各部分の筋や腱にどれくらい力が入っているか」を感じ取る感覚である。「触覚その他の皮膚感覚」には、温覚、圧覚、痛覚、痒覚などが含まれ、「深部感覚」(関節覚、振動覚、深部痛覚)などがある。
・これらの感覚は、耳や目を使って学習する以前の、いわば土台となるものであり、「自閉」という問題の根底には、それらの感覚異常がある、という仮説である。
・たいへん興味深かったことは、著者らがめざす「感覚統合訓練」と田口理論が提唱する「人にしてもらって楽しい活動」には多くの共通点があることである。「第3章」で鈴木氏が指摘しているように、その活動のほとんどは「平衡感覚」「皮膚感覚」「固有感覚」を刺激し、その機能を改善しようとするものだからである。(2016.4.10)