梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

『「自閉」をひらく 母子関係の発達障害と感覚統合訓練』(つくも幼児教室編・風媒社・1980年)精読・20

⑶服薬に対する指導について
・ティンバーゲン夫妻は「お医者さんの中には、自閉症児とみるとすぐに精神安定剤その他の薬を飲ませようとする人がいます。・・・これは緊急の場合か短期間だけの場合でないかぎり、好ましくありません」(「自閉症 文明社会への動物行動学的アプローチ」(田口恒夫訳編・新書館・1972年)と言っているので、田口氏らにもその影響はあるのだろう。
・症例1の場合、児童精神科医が脳波等の所見にもとづき処方した薬に対し、A言語治療機関担任は、薬はきかないとの理由で、服薬を中止するよう指導した。医師以外の人間が直接母親に対し服薬を中止するよう指示することは、適切と思われない。直接担当医に問い逢わせるか、ティンバーゲン夫妻が「もうひとり別な専門家の意見を求めることをお勧めします」と言っているように、別の医師の意見を聞く等の配慮がほしい。
・筆者も薬の副作用が問題になった児童に数ケース会っている。
・もし、田口氏がこのような薬に対し疑問を感じているのなら、医師の立場から、意見を公表し、いろいろ教えて欲しい。
【感想】
・症例1で、A機関の担任が「服薬を中止するよう」母親に直接指示したとすれば、臨床家としての「越権行為」であり「倫理綱領違反」である。著者の批判に私も全く同感である。ただし、薬を処方し、服薬を指示した医師の方にも、「なぜ薬を処方したか、どんな効果が期待できるか、副作用はどんな場合、どのように起きるか。効果が見られない場合どうすればよいか」について説明する責任がある。
・治療教育においては医療との連携が不可欠だが、往々にして臨床家と医師との間に「対立」「相互不信」が生じてしまう。双方の「専門家意識」「縄張り意識」が災いして、肝腎の子ども、母親を犠牲にしてはいないか、つねに留意しなければならない問題だと思う。情報交換・連絡を密にして、相手の立場を尊重し合う姿勢が大切である。
・臨床家、教育者は、特に「薬の副作用」を見落としてはならない。子どもの問題行動を薬の「副作用」と見分けなければならない。そのためにも、著者が田口氏に「医師の立場から、いろいろ教えてほしい」と思う気持ちは、心底から納得できる。


⑷脳性マヒ児に対する言語指導について
・田口理論を実践する人の中には「脳性マヒ児に対し、発声・発語器官の訓練をやっても効果がない」という悲観的な見方があると聞いている。
・症例4では対人関係はよくとれるが、重度脳性マヒのため発声・発語器官のマヒが強い児童に対し、発声・発語器官の訓練をしないで、田口理論により指導がされてきた。
・症例5では、田口氏自身が母に対し、発声・発語器官の訓練に否定的な助言をしている。しかし、養護学校入学後3か月間、機能訓練や言語指導をほとんど受けずに経過したら、後退とも思える症状がみられた。
・脳性マヒ児の場合、「楽しい遊び」により発声が活発になっても、反射抑制姿勢がとられていない場合、緊張が強まり、症例5のような堅い声になってしまう場合がある。
・筆者は、脳性マヒ児の言語指導の場合、ボバース法でいうプレスピーチなどの発声・発語器官の運動能力促進指導や反射抑制のための姿勢をとらせた上で発声・発語指導をしていくことが必要であると考えている。
【感想】
・「脳性マヒ児に対する言語指導」は①発語器官の異常による「言語発達遅滞」と、②発声・発語(スピーチ)の異常、に分類される。症例4,症例5はいずれも「言語理解はほぼ年齢相当」なので、②の指導が該当するだろう。いわゆる「スピーチ・セラピー」(言語治療)の問題である。
・その内容は「楽しい遊び」を通して行う方法と、「訓練」による方法があり、田口理論は前者、筆者は後者で行うべきだと考えている。要するに「見解の相違」であり、(専門外の)私自身には、どちらの方法が適切か判断できない。ただ、著者自身の指導を、子ども自身が待ち望み、「喜んで取り組む」ものであれば、大きな効果が期待できるのではないだろうか。かつて、私自身は聴覚障害児の「言語指導」に取り組んだが、とりたてて「発音指導」は行わなかった。(力不足で、行うことができなかったという方が正しい)しかし、聴覚的能力が高まる中で、「会話明瞭度」(発声・発語)はおのずと「一定の」改善を見ることができた。しかし、その方法が「最善」であったという確信はない。また、今では「手話」を活用することも多い現状であり、聴覚障害児・者の「スピーチ」の問題はあまり重視されていないようである。
・脳性マヒ児の場合、発声・発語の源である「呼吸」(呼気量)や、摂食・嚥下機能(舌運動)に支障が生じているとすれば、《あまり効果がない》という悲観的な見方に陥らざるを得ないかもしれない。著者のいうボバース法で、その問題を改善することができれば、田口氏らが「反対」する理由はなくなると思うのだが・・・。


⑸田口氏の母親指導について
・症例5にみられた、田口氏の指導内容にはどうしても肯定できない部分がある。
①言語発達に対する楽観的な見方にもとづく助言である。母は本児の言語について「いつかは出てくるだろう」と言われて喜んでいたが、養護学校入学後の本児の発声は、機能訓練や言語指導がなされない限り、楽観できない状態である。
②就学についてあまりに現実を無視した助言である。田口氏は「親がその気になれば普通学級に入れられる」と言っているが、座位をとることも困難な重度脳性マヒ児が、現在の教育制度のもとで小学校普通学級に入級できる可能性は皆無といってよいだろう。母親を悲観させてもいけないが、現実を直視した助言をしないと、母親はいっそう悩むことになる。
③本児が受けていた言語指導について、内容的な批判を加えずに「おまじない」と言って否定する助言の仕方である。筆者が実施していた言語指導は、田口氏の著書の脳性マヒ児に対する指導書『ことばの指導』(日本肢体不自由児協会・昭和50年・旧版昭和36年)に書かれている内容と、それほど違っていたとは思われない。本児の母親は、相当混乱していたことだろう。
・今後、本症例にみられたような慎重さに欠ける指導がなくなることを期待したい。
【感想】
・著者は、田口氏の「母親指導」の内容を三点にわたって批判している。著者と田口氏は当事者であり、私は「第三者」の立場から考えてみたい。
・まず、田口氏の「母親指導」を母親はどのように受けとめたか。①では本児の言語が「いつかは出てくるだろう」と言われ喜んでいた。②では、明確に述べられていないが、「悲観させてもいけないが」という著者の文言から「楽観した」と想像できる。③では「相当混乱していたことだろう」とある。以上から、母親は、田口氏の助言を聞いて「喜び」「楽観的になり」、しかし同時に「混乱したかもしれない」ということがわかる。言い換えれば、悲観、絶望することはなかった、明るい希望、育児の意欲が高められたかもしれない。むしろ、担当者である著者の方が悲観し、「非現実的だ」と悩んでいる様子が窺われる。
①で、著者は「言語発達に対する楽観的な見方」と述べているが、現在、言語理解が年齢相当なのだから、《発達》に関して楽観的になることは当然であろう。ことばは「いつかはでてくるだろう」と母親を励ますことも、「(早急に)機能訓練や言語指導を行わなければ出てこない」と悲観させるよりは「適切」ではないだろうか。
②は、母親から「養護学校に入学できるか」と質問された際の回答であり、「(親が)その気になれば小学校の普通学級にだって入れる」(だけの能力がある)ことを証明したということである。結果として、母親が希望をもち今後への意欲が増したことはたしかであろう。大切なことは、「田口氏のような著名な人」が証言しているのだから、本児を「小学校に入学させよう。それが叶わなくとも、本児の最も適した教育環境を準備しよう」という周囲の努力ではないだろうか。しかし本児は「現在の教育制度」により「養護学校(おそらく知的障害)特殊学級にまわされてしまった」。そして、「機能訓練や言語指導はほとんど行われず、四肢の痙直はひどくなり、さらに発声もやや堅い声となり、全身の強い緊張をともなう状態となっていた」。それは、田口氏の助言とは「全く関係がない」事実だと、私は思う。
③では、田口氏の指導書『ことばの指導』に《旧版昭和36年》と記されていることが気になった。もし、著者がそこに「書かれている内容と、それほど違っていない」指導を行っていたとしたら、田口氏はそれを「おまじないにも似た技法体系」(『言語発達の臨床第1集』(光生館・昭和49年)と自戒したのではないか。つまり、自分自身が昭和30年代に行っていた指導方法を「自己批判」したと考えられる。その後で「これは臨床家という百姓には宿命的なもののように思われる」と述懐している。しかし、著者は自分の指導方法が「おまじない」と批判されたように感じた。ただ、それだけのことのようにに思えるのだが・・・。
・田口氏の指導が「慎重さに欠けるか」どうか、「第三者」の立場から「欠けていた」と断定することはできなかった。


《4.おわりに》
・5症例に対する田口理論での指導を考察することによって、田口理論のもつ言語臨床上の問題点を明らかにしようと試みた。要約すると次のようである。
①田口理論をすべての言語発達遅滞児に汎用しようとする傾向がみられた。
②担当者から集団生活をやめるよう指導された児童が多く、その影響は、対人関係のよくとれる児童にまで及んでいた。
③児童精神科医の処方した薬に対し、疑問を感じた言語治療担当者が服薬を中止するよう指導していた症例があった。
④脳性マヒ児の発声・発語器官の運動能力促進のための指導には否定的な傾向がみられた。
⑤田口氏の母親指導に、慎重さを欠く内容がみられた。
・これらの問題は、田口理論の一側面しかとらえていないであろう。筆者が面接したケースは、田口理論での指導により望ましい変化が見られなかった場合がほとんどである。田口理論での指導により、母子関係が改善し、言語が順調に伸びた児童は多数存在するだろう。
・筆者は、田口理論を臨床上の参考にさせてもらっている。田口理論は、対人関係がとりにくい児童に対する指導理論として、多くのことを教えてくれるのである。
・田口理論は評価できる面がありながら、臨床上の問題点が存在している。今後、田口理論の実践者たちが、これらの問題点についてよく検討し、改善していかれるよう期待したい。
【感想】
・私自身は、「田口理論での指導により望ましい変化が見られなかった場合」について強い関心をもっている。望ましい変化が見られないのはなぜか。子どもの愛着行動と母親の母性行動の「相互反応」により、母子関係が成立していくとき、『それを妨げるものは何か』、それが子どもの側にある場合、または母親の側にある場合に分けて考えてみたかったが、残念ながら、この5症例の中からそれらを明確にすることはできなかった。
・ただ、田口理論が外の臨床家から「どのように見られ」「どのように受けとめられ」「どのように評価されて」いるかについては、大いに参考になり有益であった。
(2016.4.7)