梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

『「自閉」をひらく 母子関係の発達障害と感覚統合訓練』(つくも幼児教室編・風媒社・1980年)精読・21

《第5章 母子関係と感覚統合》(阿部秀雄)
《1.ハーロウの実験をどう読むか》
・サルの乳児を使った有名なハーロウの隔離飼育実験から明らかになった事実は、母子関係とは子どもがこの世界で生きて行くのに不可欠な基本的安心感の源泉であり、生後一定期間母親(ないしはそれに代わるもの)を与えられずに育つと、母子関係の形成が阻害され、深刻な不安症状が出現するなど、子どもの発達に致命的な悪影響が及ぶ、という事実であった。この実験結果を自閉的な子どもの理解にどう結び付けるかをめぐって、次のような両極端の解釈が提起されているように思われる。
①自閉的な子どもは愛情剥奪の子ザルと状態像を異にする。ハーロウの実験結果から自閉的な子どもについて推論を行うことは適当でない。
*しかし、母性刺激の不足から生じる状態像(子ザル)と、極度に低い不安閾値を越える刺激の過剰が重要な要因として働いている場合の状態像(自閉的な子ども)が異なるのは当然であるが、その相違点に目を奪われて、根底にある基本的な共通点を見失ってはならない、と私たちは考える。
②ハーロウの実験結果をそのまま自閉的な子どもに適用して、自閉の原因として心因としての愛情剥奪や不適切な養育刺激を強調する。
*しかし、同じ実験結果から、心因論とはまったく対照的な推論を行うことも可能であるし、大半の自閉的な子どもにとってはむしろそう帥論する方が妥当である、というのが私たちの見解である。
・ハーロウは一連の実験を通じて、母性を構成するものが母親の肌ざわり、ぬくもり、ゆさぶりなどであることを明らかにした。母親の愛情は以心伝心で子どもに伝わるのではなく、触覚刺激(肌ざわり)、温覚刺激(ぬくもり)、平衡感覚刺激(ゆさぶり)といった一定の感覚刺激を通じて子どもに感受されなければならない。
・人間の場合、母性刺激はいっそう複雑になって、ほほえみ、まなざし、うなずき、語りかけ、歌いかけなどさまざまな刺激が付け加わるが、基本的な事情は変わらない。
・そこで、もし子どもの側に感受性の異常があると、たとえ愛情に満ちた母性刺激であったとしても子どもに適切に感受されないことになる。特定の感覚が鈍すぎる場合には、通常の母性刺激が与えられたとしても、その子どもとっては刺激の不足を意味し、鋭すぎる場合には、通常の母性刺激は刺激の過剰を意味する。正常な感受性の子どもに与えられる刺激の過剰ないし不足が持続する場合と、異常な感受性の子どもに通常の刺激が与えられる場合と、結果として生じる事態は同じになるのである。
【感想】
・ここで述べられている内容は、たいへんわかりやすく整理されている。要約すれば、①愛情剥奪(母性刺激の不足)が母子関係の形成を阻害し、子どもの不安症状を出現させることが、ハーロウの実験からわかった。②隔離飼育された子ザルと自閉的な子どもの根底には「基本的な共通性」がある。母子関係が不可欠であり、触覚・温覚・平衡感覚を通じて愛情が子どもに感受されなければならない、という基本的な事情は変わらない。③自閉の原因として「心因としての」愛情剥奪や不適切な養育刺激とはまったく対照的な推論を行うことが可能であり、大半の自閉的な子どもにとっては、そう推論する方が妥当である。④子どもの側に感受性の異常があると、母親の愛情に満ちた母性刺激があっても、子どもに適切に感受されない。大半の自閉的な子どもには、感受性の異常があると思われる、ということである。
・そこで、私が気になる点は次の二つである。①著者は、「心因論とはまったく対照的な推論を行うことも可能であるし、大半の自閉的な子どもにとってはむしろそう推論する方が妥当である」と述べているが、どうして《大半の》と断るのだろうか。なぜ《すべての》と言わない(言えない)のだろうか。②さらに「正常な感受性の子どもに与えられる刺激の過剰ないし不足が持続する場合と、異常な感受性の子どもに通常の刺激が与えられる場合と、結果として生じる事態は同じになるのである」とも述べている。だとすれば、《正常な子ども》でも刺激の過剰ないしは不足が持続すれば、「自閉的な子ども」になるということになるのではないだろうか。
・著者は、自閉の原因として、子どもの「異常な感受性」を推論しているが、周囲からのの「刺激が通常であるか、過剰であるか、不足しているか」については言及していない。もし、正常な子どもでも「通常の刺激を与えられなければ」、異常な感受性の子どもと同様に、不安症状を引き起こし、母子関係の形成が阻害される「おそれ」生じる、と考える方が妥当ではないだろうか。つまり、《すべての》「自閉的な子ども」の原因は、異常な感受性の有無にかかわらず、「不適切な刺激」を持続的に与えられることによって生じる、ということではないだろうか。
・『言語発達の臨床第2集』の「子どもの不安・緊張の原因」は、「子どもの側に感受性の異常がある場合」のために田口理論が準備したチェックリストに他ならない、と私は思う。(2015.4.8)