梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

『「自閉」をひらく 母子関係の発達障害と感覚統合訓練』(つくも幼児教室編・風媒社・1980年)精読・17

《第4章 言語臨床から見た田口理論》(千葉県障害者相談センター 鈴木弘二)
《1.はじめに》
・筆者は言語治療に携わって6年になるが、子どもの相談では「ことばの遅れ」を主訴とする相談ケースが相当数あり、その中で田口氏らが言う「しばしば、自閉症とか自閉傾向とか微細脳障害症候群とか発達性失語症とかいったような名まえがつけられている」「ふしぎな特徴をもった子ども」に面接することがしばしばである。このような子どもの場合、田口理論に教えられることが多く、指導の参考にさせてもらっている。しかし、田口理論には、筆者が疑問に感じたり、問題と思う部分がみられる。これらの疑問や問題点について、田口理論により指導を受けた症例をとおして考察してみたい。
《2.田口理論によって指導された症例》
・ここに紹介する5症例は、すべて千葉県内の児童であり、筆者が面接するか筆者の友人の面接によって、田口理論による指導内容がある程度明らかになった症例である。また、文中の田口理論を実践する言語治療期間とは、担当者が母親に対し田口理論により指導することを言明した機関のことである。
◆症例1.男(昭和46年11月10日生)
・2歳1カ月:某児童相談所で指導開始。
・2歳5カ月:難聴の疑いで面接。聴力は正常。言語発達は1歳未満。対人関係がとりにくく、落ち着きがない。
・3歳5カ月:同児童相談所で、6か月間、週1回のグループ指導、以降、月1回の指導。
・3歳11カ月:田口理論を実践するA言語治療期間に相談。月1回の指導開始。
・4歳4カ月:母との簡単な会話が可能。母子関係が改善しはじめた。語彙の増加がみられた。某病院児童精神科で脳波検査。けいれん様波形がみられ服薬開始。A機関の担任の助言により児童相談所への通所は中止。
・4歳10カ月:母は某精神薄弱児通園施設に入園させたいと希望したが、集団生活は早すぎるとのことで担任に反対された。その後もA機関で週1回の指導。
・5歳6カ月:母はA機関の指導に疑問を持ち、筆者の所に相談。本児は落ち着いていて、母との会話がみられるようになっていた。母の主な疑問は、担任より①集団生活は早すぎるので就学は1年猶予した方がよい。(児童精神科医は就学猶予の必要はないと判断している)②現在服薬中の薬はよくないのでやめたほうがよい(某国立病院では服薬は必要だと判断している)、という指導を受けたことによる。
・筆者は母に対し、①就学までに10カ月あるので、今後も改善していくだろうが、現在でも集団生活は可能と思われる。(児童相談所心理判定員は4歳4カ月のとき集団生活は可能であると判断していた)②服薬中の薬は医師の指示に従うことが望ましい、と助言した。
・その後本児は、A機関担任の助言のように就学猶予することになった。
◆症例2 男(昭和49年10月14日生)
・2歳頃より、本児のことばの遅れが気になり、数カ所の病院に行ったが不安は解消されなかった。
・3歳4カ月:NHKの紹介で某言語治療教室へ相談。2か月後通級指導開始。さらに集団生活が必要であるから保育所へも入所申し込みをするよう指導された。
・この直後、母は独自に田口理論を実践するB言語治療期間に相談、助言を受けた。その内容は、①本児のやることをそのまま受け入れ、何をやってもおこらないこと、②赤ちゃんと同じようにおんぶやだっこをしてやること、③保育所へ行くのはやめた方がよい等であり、手引き書『ことばを育てる』を読むように紹介された。B機関での面接はこの1回だけであった。
・3歳5カ月:筆者が面接。一語文での発話は多いが、やや対人関係がとりにくく、落ち着きもなかった。母に対する甘えが強く出ていた。本児の場合、田口理論の対象ケースとも思われたが、B機関では指導が受けられないため、①なるべく一ヶ所の機関で継続して指導を受けた方がよい。当面は、言語治療教室への通級指導を継続して受けることがよいと思われる。②保育所については、保育内容にもよるが、言語治療教室担任の指導に従った方がよいだろう、等の助言をした。
◆症例3 男(昭和50年1月17日生)
・2歳:筆者の友人で言語治療を担当しているA氏の所に相談。全体としての言語の遅れと自閉傾向がみられたが、家庭では母にまつわりついたり、ボール遊びで母にボールを投げ返したり、友だちと玩具の取り合いや追いかけっこをしたりしていた。A氏が「人形にキスして」と指示するとキスしてみせるなどの行動がみられた。
・その後、母の判断で田口理論を実践するC言語治療教室に行き、約1年間指導を受けた。指導内容は、「母が変わらないことを示す」ために、たんす程度の家具が置かれた部屋で本児と2人きりになり、母は座って部屋の一点を見つめ続け、本児が母に働きかけても相手にしないでじっとしていることであった。1年間同じ内容の指導が続けられた。
・母はC機関での指導に疑問を持ち、通所することをやめてA氏の所へ再度相談に来た。1年前に比べて、落ち着きがなくなり、部屋の中に置いてある玩具をつぎつぎに引っ張り出してしまうなどの行動がみられるようになっていた。
・その後、A氏の定期的な経過指導のもと、某市の親子教室に通級しており、現在では、知的な面での伸びはみられないが、対人関係はほとんど問題なくなってきているとのことであった。
【感想】
・以上の症例では、いずれも田口理論を実践する言語治療教室(臨床現場)での「問題点」が感じられる。3例とも、母親は、子どもがほぼ2歳頃に「心配」し始め、相談機関をあちこちと巡っている。しかし、そのことによって、母親の「不安」は解消しない。
・症例1では、3歳11カ月からA機関で指導を受け、ほぼ半年後の4歳4カ月時には、
「母との簡単な会話が可能。母子関係が改善しはじめた。語彙の増加がみられた」と記されている。2歳5カ月時には1歳未満だった言語能力が2歳レベルにまで向上したことになる。しかし、母親の不安は「集団生活ができるか」という方向に移っていく。A機関は「まだ早すぎる」と助言したが、母親にはその理由が納得できない。ただ「反対された」としか受けとめられない。母親とA機関との信頼関係が薄れたまま、さらに1年が過ぎ、5歳6カ月時には「就学猶予」を勧められた。たまらず、母親は著者の所へ相談に来た。著者はその時の子どもの様子を「本児は落ち着いていて、母との会話がみられるようになっていた」と記しているが、4歳4カ月時に比べてどのような「伸び」がみられたのだろうか。要は、「集団生活をさせた方がよいか」という一点に絞られると思われるが、児童精神科医、児童相談所心理判定員、著者のいずれもが「集団生活可能」としているのに、A機関だけが「まだ早すぎる」と判断した根拠は何だったのだろうか。結局、母親はA機関の助言に従い「就学猶予」を選んだ。さて、その結果は?症例1の男児は、今、45歳の壮年に達している。はたしてどのような生活をすごしているのだろうか。
・症例2の母親もまた「不安傾向」が強く、一ヶ所の相談では満足できないタイプであろう。3歳5カ月時、著者がが面接したとき「一語文での発話は多いが、やや対人関係がとりにくく、落ち着きもなかった。母に対する甘えが強く出ていた」ということであれば、母子関係が育ちつつある段階であり、B機関の助言内容は「適切」であったと思われる。問題は「B機関で指導が受けられないのはなぜか」という一点だが、それは相談体制の問題であり、臨床上の問題とは区別されなければならない、と私は思った。
・症例3は、明らかにC機関の側に問題がある。2歳時、すでに母子関係が成立しており、「物のやりとり」「友だちとのかかわり」ができ「ことばによる指示に従う」ことができるのに、「自閉傾向」が見られることにとらわれて、「子どもの不安を取り除き安心させる」技法に終始した点である。担当者は、田口理論を単なる「マニュアル」として誤用したに過ぎない。子どもの実態を的確に診断することができず、また田口理論の真意も理解できない、最悪の事例だと言えるだろう。(2016.4.3)