梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

『「自閉」をひらく 母子関係の発達障害と感覚統合訓練』(つくも幼児教室編・風媒社・1980年)精読・6

《4.「基本的障害」を腑分けすれば》
・ウィング女史の「基本的障害」にある「コミュニケーションの障害」というカテゴリーは、対人関係の障害という二次的障害の結果生じるいわば三次的障害としてはずすことにする。
・また「運動統制の障害」にある「腕を交互に振らずに、爪先立ちで跳ねるようにして歩く」「自発的な全身運動や手先の活動が不器用である」や「自律神経機能、平衡感覚、身体発達の異常」にある「鎮静剤/睡眠剤が効きにくい」「水をたくさん飲みたがる」などは、他の脳障害児、とくに多動の子どもにしばしばみられる項目であり、自閉症状との直接の因果関係を説明できるようなものではない。
・そのようにして基本的障害としては考えにくい項目を切り捨てて行くと、最後に残るのは、感覚の過敏(刺激に対する不安閾値が低い)または過鈍(刺激に対する快閾値が高い)、あるいは統合不全をうかがわせる次の項目である。
◆「感覚に対する異常な反応(無関心、嫌悪、あるいは熱中)」
◆「ぐるぐり回っても目まいがしない」→平衡感覚の過鈍
◆「視野の中央ではなく周辺部分を利用する」「人や物をじっと見ずに一瞬ちらっと見る」→視覚の過敏もしくは対人不安に由来する視線回避もしくは直視回避
◆「とびはねる、手足をばたつかせる からだをゆする、顔をしかめる」→正常に働いていない感覚に対する自己刺激の試み、あるいは外部からの刺激を統制しようとする試み
*ウィング女史自身、「このような動きは、興奮しているときとか、フラッシュライトの光やぐるぐる回るオモチャをみているといった、ある感覚的体験にひたっているときに激しくなるようである」と述べている。
・このような感覚障害が対人関係の発達を阻害するなどということがあり得るだろうか。確かにあり得るのである。母子関係とは愛着行動と母性行動との相互作用を通じて成立する。母親の側からの母性行動は必ず子どもの感覚器官を通じて感受されるわけで、低い不安閾値ないしは高い快閾値に悩む子どもが、母親の愛情豊かな表現から安心と喜びを得られないかもしれないことは容易に想像できることである。
・1970年、ロンドン大学精神遅滞研究所主催の自閉症に関する研究会の席上で、ナッフィールド聴覚言語センターのJ・マーチン所長が「母親の方にはまったく過失がないのに、長期にわたる重い相互作用の欠乏が起こる」という「内在的な遮断」が自閉症児の側に生じるという発言を行っている。
・「常同行動や単純な感覚刺激に心をうばわれ」ざるを得なかった感覚障害が存在するために「他者とかかわり合ったり、複雑な抽象概念を理解する活動に楽しみを見出せない」のだと考えたほうがずっと自然である。
・もし女史の説明が正しいとしたら「他者とかかわり合ったり、複雑な抽象概念の理解を要する活動に楽しみを見出せない」原因は何なのか。象徴機能の障害か。模倣障害か。「最初のコミュニケーション能力」の欠如か、あるいはそれらをすべて含んだ多面的障害群が原因なのか。議論はここでまったく振り出しにもどってしまう。女史の自閉論はこのように混乱している。
・私たちは、多面的な基本的障害群から感覚障害という単一の基本的障害を抽出した。その結果私たちは、療育の全精力をさしあたって感覚統合へ、感覚統合を媒介とする母子関係の成熟へと傾注することができるのである。
・C・デラカートは、この感覚障害原因説を自閉症の診断と治療に関するひとつの理論にまで高めている。
【感想】
・ここで著者は、「感覚障害が対人関係の発達を阻害することがあり得る」と《断言》し、ウィング理論の《多面的混乱》を批判している。そのことに私も十分同意できるが、やはり一点が気にかかる。
・著者は、「母親の側からの母性行動は必ず子どもの感覚器官を通じて感受されるわけで、低い不安閾値ないしは高い快閾値に悩む子どもが、母親の愛情豊かな表現から安心と喜びを得られないかもしれないことは容易に想像できる」と述べ、その一例として、J・マーチン所長の「母親の方にはまったく過失がないのに、長期にわたる重い相互作用の欠乏が起こる」という「内在的な遮断」が自閉症児の側に生じるという発言を挙げている。つまり、母子関係は愛着行動と母性行動との相互作用で成立するが、子どもの側の感覚障害が愛着行動を妨げている、という考え方である。たしかに、そういう場合があるかもしれない。しかし、すべてがその場合にあてはまるだろうか。母子関係は母子の《相互作用》で成立するとすれば、母親の側からの「母性行動」に問題が生じている場合も「あり得る」のである。要するに、①子どもの「愛着行動」が不足している、②母親の「母性行動」が不足している、③子どもの「愛着行動」、母親の「母性行動」のいずれもがが不足している、という三つの場合を想定しなければならないと、私は思う。また子どもが成長していく過程の中で、①から②、②から③へと移行し、「自閉症児」が「作られていく」という場合も少なくないのではないだろうか。さらに言えば、「母性行動」の不足が、子どもの「感覚障害」を発生・増長させることはないか、ということも検証する必要があると思う。
 40年前にくらべて30倍、2年前に比べて2倍という「自閉症スペクトラム」の増加率は何を意味するのか、再考する時期が来ているようだ。
 以上で、著者の「ウィング理論」批判は終了する。次章はいよいよ「第2章 田口理論をめぐって Ⅰ」である。大きな関心をもって読み進めたい。(2016.3.21)