梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

『「自閉」をひらく 母子関係の発達障害と感覚統合訓練』(つくも幼児教室編・風媒社・1980年)精読・7

《第2章 田口理論をめぐって Ⅰ》(阿部秀雄)
・本稿では、お茶の水女子大学の田口恒夫氏を中心とする言語発達臨床研究会の言語発達遅滞」児に関する理論(以下「田口理論」と称する)を紹介しながら、私見を述べる。
《1.田口理論でいう言語発達遅滞児》
・田口氏らは自閉症とか自閉傾向とか微細脳障害症候群とか発達性失語症といった診断名を使わない。そうした診断名は「おおかた虚構」であって「“わからないこと”を“わかっていないこと”だとしておくかわりに、わかっていないことの一面をとらえてそれにわからない名まえをつけ」ることで、わかったようなつもりにさせられることが多いから、という理由からである。私たちもその点同感である。
・(田口理論が強い影響を受けている動物行動学者)ティンバーゲン夫妻が指摘しているように、自閉的な子どもとそうでない子どもという、たがいに峻別される二群の子どもがいるのではなく、「正常な子どもと自閉症児の間にはいくらでも段階がある」のだとすれば、正常な子どもたちからの質的な偏異を強調することになる自閉という表現も、状態像の記述に用いるのに適当でない、ということになる。
・しかし、「言語発達遅滞」児という表現も、それが言語発達遅滞児一般を意味せず、特定の「ふしぎな特徴をもった」言語発達遅滞児だけを意味するということになると、多少の混乱を免れるわけにはいかなくなる。「言語発達遅滞」児に関する田口理論が広くさまざまな言語発達遅滞児に汎用される、という臨床上の混乱が生じるおそれがある点がいっそう問題である。
・レッテルにこだわるつもりはないが、母子関係を重視する田口氏らの立場に照らして、田口理論でいう言語発達遅滞とは、むしろ母子関係発達遅滞として記述されるべき状態像意味している、という明確にしておく必要がある。
【感想】
・著者は、田口氏らが「自閉症」「自閉的傾向」「微細脳障害症候群」「発達性失語症」といった診断名を用いないことには同感だが、《「言語発達遅滞」児》という表現も、一般の「言語発達遅滞児」と混同され、臨床上の混乱が生じるおそれがある、と問題視している。むしろ「母子関係発達遅滞」として記述されるべきだとも述べている。
・著者は「レッテルにこだわるつもりはないが」と断っているので、私自身そのことに格別の異存はないが、レッテルによって「混乱が生じる」臨床の現場の「あり方」もまた問題があると思う。〈ティンバーゲン夫妻が指摘しているように自閉的な子どもとそうでない子どもという、たがいに峻別される二群の子どもがいるのではなく、「正常な子どもと自閉症児の間にはいくらでも段階がある」のだとすれば、正常な子どもたちからの質的な偏異を強調することになる自閉という表現も、状態像の記述に用いるのに適当でない〉のだから、臨床家にとって大切なことは、その状態像を的確に診断・理解し、正常な子どもへの《段階》を歩めるように支援すること(の方)であるはずだ。要するに、目の前の子どもの問題が改善されればよい、それが臨床現場の鉄則であって、その子どもがどのようなレッテルを貼られていようと頓着すべきではないのである。レッテルによって、臨床のあり方が左右されることは当然かもしれないが、レッテルが曖昧だから臨床のあり方が定まらないという現場は、「初めにレッテルありき」で単なる指導マニュアルを子どもに適用しているに過ぎない。子どもにマニュアルを押しつけるのではなく、子どもに合わせたマニュアル(個別教育計画)を作ることが、臨床の現場に求められているのである。
・このことは、「自閉」「非自閉」に限らず、すべての「障害児」に当てはまる、と私は思う。「知的障害」「聴覚障害」「視覚障害」「身体障害」等々もまた「正常な子どもとの間にはいくらでも段階がある」のである。しかし、現状では「正常な子どもたちからの質的な偏異」が強調されるばかりで、しかもその傾向は拡大されつつあるように感じる。その昔、田口恒夫氏はある研究会の席上で「皆さんはびっくりするかもしれませんが、セーハク児なんてこの世にはいませんよ」と述べた。参加者の一人が挙手して「私は二十年以上、セーハク教育に携わってきました。だから先生のおっしゃる意図は十分に理解できます。しかしここに参加している皆さんの中には新人の方々も多いと思います。誤解されることのないよう意図を補足説明していただけないでしょうか」と質問した。田口氏は「説明するまでもなく、セーハク児なんていないのです。その意味を理解していないのは、あなた自身の方ですよ」と応じた。当時、私は新人であったが、田口氏の「セーハク児なんていない(それはレッテルという虚構に過ぎない)」という意図を心底から理解・納得したのである。
・ウィキペディア百科事典の「自閉症スペクトラム」には〈「自閉症スペクトラム」の概念は、1990年代に、主に自閉症やアスペルガー症候群の研究者ら、特にイギリスの児童精神科医ローナ・ウィングによって提案された〉とある。《スペクトラム》とは「連続体」という意味だが、何と何が連続しているということなのだろうか。もし「正常な子どもと自閉症児の間にはいくらでも段階がある」と同じ意味だとすれば、1970年代に動物行動学者ティンバーゲン夫妻が主唱したことを、1990年代になって児童精神科医ローナ・ウィング女史が「借用」したことになりはしないか、と私は思った。
・著者が危惧する「臨床上の混乱」は、田口理論とは無縁のところで、今も続いているのである。
(2016.3.22)