梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「黄金のペットボトル」

 朝刊(東京新聞)を見ながら朝食を摂ろうとして、思わず、激しい吐き気におそわれた。一面トップ記事の見出しに《道路脇に「黄金のペットボトル」 用済みをポイ捨て!? 「トラック運転手がトイレ面倒と・・・」》という文言が見える。私はその記事自体が不潔な感じがして、食欲を失った。苛酷な労働条件のため長距離運転手はトイレ休憩もままならない。だから車内で用を足さざるを得ない、というところまではわかる(共感できる)。場合によっては「紙おむつ」も必要かも知れない。だがしかし、使用済みの「紙おむつ」を、走行中の窓から放り投げることは許されるだろうか。「黄金のペットボトル」をポイ捨てすることは、それと全く同じである。運転手は自らが排泄した以上、その後始末を自らで行わなければならない。そんな「あたりまえのこと」が通用しなくなるまで、日本社会の道徳は衰退してしまったのか。要するに、現代の「大人」は、自分の後始末ができない「子ども」のまま、年ばかり「くってしまった」ということである。「黄金のペットボトル」は自分の産物なのだから、トラックが目的地に着くまで携行し、トイレで始末することは「常識」である。それができないのはなぜか。排泄物を携行する「不快感」に耐えられない、その「不快感」を他人に押しつける・・・。 
 戦争直後(昭和20年代)の日本は「不潔」だった。経済復興を遂げた今、表向きは「繁栄」を誇り、衛生環境は整っているかに見えるが、社会の裏側に大きな進歩はない。 
(2018.11.19)