映画「アフリカの女王」の《面白さ》
映画「アフリカの女王」(監督ジョン・ヒューストン、イギリス・1951年)を観た。たいそう面白かった。舞台はアフリカ奥地のある集落。イギリス人の牧師兄妹が原住民を集めて、賛美歌を合唱している。そこは、密林の中に開けた平地の一郭であろうか。物資の輸送は水路に頼るものとみえ、蒸気船(といっても乗組員は船長一人の小型船)が定期的にやって来る。船の名前が「アフリカの女王」(なるほど映画のタイトルは船の名前だったのか)。船長はカナダ人で職工あがり(ハンフリー・ボガード)、今しも賛美歌が終わろうとする頃、葉巻を吹かしながらやって来た。途中で、吸いかけの葉巻を投げ捨てると、それを求めて村の若者たちが殺到して、周囲の景色は大混乱、その空気が教会の中にも波及するといった按配で、この船長およそ信仰とは縁のない風情であった。それもそのはず、彼は教会に牧師宛の郵便を届けに来ただけなのである。牧師兄妹は、いやな顔ひとつせず船長を歓待、紅茶などを馳走する。片や敬虔なクリスチャン、片や無精ひげに薄汚れた衣服の船長、およそ似つかわしくない取り合わせの「茶会」であったが、何事もなく船長は退出した。ただ一点、彼がもたらした気がかりな情報は、ドイツとイギリスが戦争を始めた、その影響がアフリカにも及ぶだろうとのこと。案の定、まもなくドイツ軍が村に侵攻、原住民の村人全員を拉致・連行。教会も含めて、すべての家屋は焼き払われてしまった。そのショックで牧師は病死、妹(キャサリン・ヘプバーン)だけがひとり残された。そこに再登場したのが件の船長。悲嘆にくれる妹をなぐさめ、励まし、自分の船で奥地から脱出するように勧める。妹も同意、以後二人の船旅が展開するという筋書きだが、この二人の「絡み」が何ともユーモラス(ヒューマン)で面白かった。実を言えば、この映画、冒頭場面と大詰めを除けば、二人しか登場しない。舞台も狭苦しい蒸気船の中だけというシンプルな設定だ。この異色な(取り合わせの)男女(カップル)の「絡み」を描出することが、主たる「眼目」であろう。通常なら「妹」(女)を保護・先導するのが、「船長」(男)の役割だが、実際は正反対。奥地からの危ない脱出、過激なドイツ戦艦攻撃等など、「常識破りな」方法を提案するのは、つねに「妹」の方、「船長」は当初「断固拒否」するが、とどのつまりは「従わざるを得ない」、強面のハンフリー・ボガードが演じる、せつない風情(男の純情)が何とも魅力的であった。一時など、そのストレスに耐えられずジン酒を暴飲して二日酔い、その間に妹は平然とジンの酒瓶すべてを捨ててしまう。その空瓶が5本・・・、10本と波間に漂うシーンが「女のしたたかさ」を暗示しているようで、身につまされた次第である。さて、この二人、敵の要塞、急流(滝)、船の破損、沼地での迷走、座礁等など、様々な困難に遭遇するが、その度に打開策を提案、叱咤激励するのが「妹」、それを実行・実現するのは「船長」という分担で窮地を脱出する。なるほど、人生とはこういうものか、伴侶とはこのようなものなのか、を具体的に納得させられるという趣向で、極め付きは大詰め。いよいよ敵艦に魚雷を的中させる段階に至った時、互いに「特攻するのは自分一人でよい」と言い争い喧嘩する。相手の安全を気遣っての対立だが、互いにゆずらず「攻撃は同伴で」という結論に落ち着いた。しかし、魚雷艦(?)・「アフリカの女王」は、時化のため、あえなく沈没、作戦は失敗に終わった。加えて、二人ともドイツ軍に捕らえられ、死刑囚の身に・・・。といった場面で幕は下りるのだが、はたして、この物語、「悲劇」なのか「喜劇」なのか、「活劇」なのか「ロマン」なのか、「戦記」なのか・・・。そのいずれでもあり、いずれでもないような「仕上がり具合」が、たいそうユニーク、暗示的で面白かったのである。
(2010.8.16)
Immortal Movie Trailer 『アフリカの女王(The African Queen) 』 予告編 Trailer 1951.
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