梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「旅役者」(監督・成瀬巳喜男・1940年)

 戦前の邦画「旅役者」(監督成瀬巳喜男・東宝・1940年)をユーチューブで観た。大変おもしろい。田舎町を旅する中村菊五郎(高勢実乗)一座の物語である。一座の当たり狂言は「塩原太助」。馬の役を務めるのは俵六(藤原鶏太)と仙平(柳谷寛)のコンビである。俵六は、馬の脚を演らせたら自分が日本一だと自負している。町に到着すると一行は、リヤカーや人力車に乗って街道を練り歩くが、俵六と仙平は稽古に余念がない。一段落して、開演までのつかの間を、氷屋で過ごす。その途中、折しも出会った出征兵士と馬を見送りながら、俵六が「何だか他人のような気がしねえなあ・・・」と呟く場面が印象的であった。俵六にとってそれは、ひしひしと迫り来る戦争への予感であり、人馬に対する餞の言葉だったかもしれない。店の娘(山根寿子)にかき氷とラムネを注文、娘いわく「あんたたち、芝居の人だね」「わかるかい」「でも道具の方でしょう?」「これでも立派な役者だよ」「へえ・・・、どんな役をやるの?」「馬だよ、今夜、観にお出でよ」思わず娘が笑い出す・・・といった景色が何とも懐かしく魅力的であった。興行は大盛況、そんな噂を聞きつけ、別の町からもお呼びがかかったか・・・。
 興行師の若狭屋(御橋公)と小屋主の北進館(深見泰三)は、一儲けしようと、床甚(中村是好)に「菊五郎を呼んで、儲けは山分けだ」と誘いかける。床甚「そんな有名人が来るなら」と同意、ポスターまで自作、街のあちこちに貼りまくった。いよいよ、一行が駅に到着、床甚は迎えに出たが、どうも様子がおかしい。肝腎の菊五郎がいないではないか。それもそのはず、菊五郎とは尾上ではなく中村・・・、床甚の気持ちはおさまらない。「みんなでオレを騙しやがって!」、一座を迎える宴で泥酔し、北進館に絡んだが。勧進元・若狭屋の姿が見えない。「野郎!どこへ行きやがった」、その姿を求めて、北進館の(誰もいない)楽屋に紛れ込むうち、フラフラしながら何かを踏んづけた。よく見ると、馬の頭、「何だこんなもの」と言いながら、凹んだ頭を枕に寝込んでしまった。しばらくして、その様子を見つけた中村菊五郎、若狭屋たち、「とんでもないことをしてくれた」と床甚を叩き起こす。酔いが覚めた床甚、「フン、馬のツラが何だ、オレのツラをつぶしやがって!」と若狭屋に食ってかかった。「何だと!」と若狭屋も応じたが、北進館になだめられて冷静になり、床甚に謝る。「すまなかった、本当のことを言わないで・・・」床甚も「そっちがそう出るのなら・・・」と矛を収めた。しかし、菊五郎は収まらない。「この馬がなければ、明日フタを開けることができない。何とかしてウマく直しておかないとね・・・」かくて床甚は、凹んだ馬の頭を持って提灯屋に赴くことになった。「徹夜仕事でもいいから、この頭を繕ってくださいな、御礼は十分にさせてもらいます」。
 そんな事情は夢にも知らない俵六と仙平,料理屋の一郭で女たち(清川虹子、伊勢杉子)に「馬の脚談義」の能書きを垂れている。「オレなんぞは後脚5年、前脚10年、修業を重ねた日本一の馬の脚役者、馬の団十郎といったところだ!」と言って、嘶きまで披露した。面白がって大喜びする女たち、「明日、必ず観に行くからね」ということになった。
 翌日、俵六と仙平は菊五郎に呼び出され、昨夜の事情を知ることになった。「昨日、若い者が粗相して馬のツラをつぶしてしまった。修繕されて来たので見てくれないか」。俵六、その馬を見るなり「こいつはいけねえや、こりゃ化け損なったキツネのツラじゃねえか」「そこを何とか、こらえてくれ。馬が出なければ幕は開けられない」と、菊五郎が懇願するが、俵六は応じずに呟いた。「どこのどいつが繕ったか知らねえが。キツネとウマの見分けがつかねえなんて、情けねえハンチキ野郎だ!」馬の頭を持ってきた床甚がそれを聞いて、黙っていなかった。「オイ、オメエ。馬の脚のようだが、脚のくせにツラをこきおろすのは贅沢じゃねえか。化け損なったキツネとはよう言ったのう。キツネに見られりゃ結構じゃ。そのつもりで貼らせたんじゃい。東京役者や何たらこうたら、どうせへっぽこ芝居に違いなかろうに、キツネ馬でたくさんじゃろかい!」俵六も言い返す。「ナニ!てやんでい!俵六はなあ、キツネ着てウマ務めるほど耄碌はしてねえんだ。オレの馬はなあ、どこにもある、ここにもあるという安い代物じゃあねえんだ、ベラボーメ!」「フン、がまの油でもあるまいし・・・」といった、やりとりは抱腹絶倒の名場面、今はなき藤原鶏太と中村是好の丁々発止の「セリフ回し」が、たいそう際立っていた。
 その日はやむなく休演、しかし翌日には曲馬団の本物の馬で幕を開けることになったという次第、これは大成功したが、俵六と仙平の出番はなし・・・、「フン、本物の馬に芝居ができてたまるけえ」、翌日も無聊を託つ二人が縁台でどぶろくを飲み交わす。そこにやって来たのが料理屋の女たち、「あんたたち、どうしたのさあ、芝居、昨日観に行ったけど出ていなかったじゃないか。馬の腹の中にでも入っていたのかい」と冷やかした。俵六、たまらず「そんなら、今ここでみせてやらあ」。二人は楽屋に駆け込み馬の衣装を整えると、さっそうと野外の舞台に登場してきた。女たち「あら、じょうずねえ・・」と大喜びしたが、俵六たちの演技が止まらない。本物の馬小屋に突進、つながれている馬は驚いて脱走、俵六と仙平が馬の姿で後を追う。「アニキ!もうやめよう」と仙平が止めるのも聞かず、俵六は途中出会った床甚を水路に蹴落として、さらに馬を追いかける。「何だ、何だ!」と、群れ集う街の人々を尻目に、俵六の馬はとうとう本物の馬を町外に追い出しつつ・・・、閉幕となった。
 さすがは「旅役者」、名匠・成瀬巳喜男監督の腕前はお見事!その鮮やかな出来映えに私の笑いと涙は止まらなかった。藤原鶏二(釜足)、柳谷寛、中村是好はもとより、菊五郎を演じた高瀬実乗の(「座長」の)風情は天下一品、あわせて若き日の山根寿子、清川虹子の艶姿も拝見できるという代物で、邦画史上屈指の極め付きであったと私は思う。ぜひユーチューブでの観賞をお勧めしたい。(2016.8.10)