梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

私家版・昭和万謡集・8・「流れの旅路」

8 「流れの旅路」(津村謙)
《寸感》
 平成の時代になっても「旅役者」は存在する。全国に150余りある劇団を、私も追いかけた。
 以下は、平成20年10月の「見聞記」である。(2023.10.22)


 〈午前11時45分から、栃木県・鬼東沼レジャーセンターで大衆演劇観劇。「鹿島順一劇団」(座長・鹿島順一)JR東北本線・石橋駅からタクシーで20分、鬼怒川大橋を渡って右折、大きなゴルフ場の隣りに「劇場」はあった。インターネットの紹介記事によれば〈鬼東沼レジャーセンター 基本的には団体客がメインとあって、入館料2500円は幕の内弁当と飲み物付きのプライス。鬼東沼レジャーセンターの名物は社長自らが刈り取った純度100パーセントのコシヒカリを贅沢に使った白米。オカズいらずのおにぎりが特に有名で、それだけを目当てにやってくるお客さんもいるとか。社長いわく「水からして違うからね」と自信満々の白米をぜひその舌で味わってみてください。アウトドアを満喫したい向きには釣り堀やバーベキューも楽しめます〉ということである。どこにも「芝居」のことなど書いて「ありゃあしない」。11時頃入場すると、なるほど、団体客のカラオケが「今まさにたけなわ」という雰囲気で、熱気むんむん、やや腰の曲がりかけた老婦人の「瞼の母」には、数千円の「花」が付くほどの盛況ぶりであった。一般客は、「御贔屓筋」6~7人、「家族連れ」(含む子ども)5~6人だったろうか。土地の豪農が地域住民の「福利厚生」のため、私財をなげうって設立した施設に間違いない。建物の景色は、「得たいの知れない公民館」風、それに年期が加わって、入り口のアーケード(くぐり門)は、「半壊状態」、玄関までの道脇には「鹿島順一さんへ」と染め抜かれた(今は、色あせている)幟がポツンと二本(一本は「近江飛龍より」)、侘びしげに立っていた。大昔、旅役者のスターを慕う「流れの旅路」(唄・津村謙)という名曲があったが、「はるか、あの町、あの村過ぎて、行くか、はるばる、流れの旅路」という歌詞がピッタリあてはまる情景ではあった。


 芝居の外題は「浜松情話」。「鹿島順一劇団」十八番中の十八番。しかし、今日の配役・茶店の娘は春大吉ではなく春夏悠生(新人女優)、その親爺は座長ではなく蛇々丸に変わっていた。だからといって、その出来栄えの見事さに変わりはない。もちろん、役者が変われば「風情が変わる」。しかし、その変化は、芝居のレパートリーが「増えた」ことと同じで、私たちは、もう一つの「浜松情話」を楽しむことができるのだ。座長は裏方、春大吉は脇役に回ったが、何と言っても主役は三代目・虎順の「三下」、これまでの「初々しさ」に変わって、「上手さ」が芽生えてきたように思う。宴会気分の団体客にとって、芝居は「余興」、あくまで「酒の肴」に過ぎないが、その関心を惹きつけ、思わず「かけ声」まで掛けさせる「演技力」が身につきつつある。開幕当初、酔客の「ざわめき」が耳障りだったが、徐々に「集中」し、終幕が「拍手喝采」で終わったのは、まさに虎順の力である。それを支えた蛇々丸の「確かな力」、春夏悠生の「初々しさ」、花道あきらの「温かさ」も見逃せない。座長にしてみれば、「いずれは座長を退く身、少しずつ座員に任せて行かなくては・・・」という気持ちなのだろう。まして、ここは「団体客の余興の場」「自分が登場するまでもない」という気持ちがあったとしても、おかしくない。私は両手を挙げて、その判断に「同意」「支持」する。座長の至芸を団体客に「安売り」する必要は毛頭無いのだから。その「思い」をしっかり受けとめ、「全力」を尽くしている(虎順を支えている)、蛇々丸をはじめ、花道あきら、春大吉、梅之枝健、そして新人たち「座員一同」のチームワークにも脱帽する他はなかった。


 劇場の空気に合わせてか、口上、座長の歌唱は省略。男優の「女形舞踊」もなかったが、それはそれでよし(すでにその舞台を堪能している私自身は、役者の姿を見られただけで満足なのである)、「はるか、あの町、あの村過ぎて、行くか、はるばる流れの旅路」、その旅を続けるために、今は、英気を養う時なのだから・・・。〉



流れの旅路 津村謙