梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・芝居「里恋峠」(鹿島順一劇団)

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成21年5月公演・九十九里太陽の里〉                                      芝居の外題は「里恋峠」。その内容は「演劇グラフ」(2007年2月号)の〈巻頭特集〉で詳しく紹介されている。それによると「あらすじ」は以下の通りである。〈賭場荒らし見つけた更科三之助(三代目鹿島虎順〉は、その男(蛇々丸)をこらしめようとする。そこに川向こう一家親分・万五郎(花道あきら)が現れる。実は、その賭場荒らしは万五郎の子分だったのだ。三之助は万五郎たち(梅之枝健、蛇々丸、赤銅誠)に一人で立ち向かうがすぐにねじ伏せられてしまう。この危機に、(更科一家・親分)三衛門たち(親分・鹿島順一、姉御・春日舞子、代貸し・春大吉)たちが現れ、三之助は助けられるが、早まった行為に怒った実父であり更科一家の親分の三衛門から勘当、旅に出ることに。その後、まもなく三衛門は病に倒れ、一家も落ち目になっていった。旅を終えた三之助が、更科一家に帰ってくると、家には瀕死の三衛門が・・・。事情を聴くと、三之助のいない間に、万五郎が三之助の借金のカタにと、お里(生田春美)を連れて行ったと言う。どうすることもできなかった三衛門は、お里だけにつらい思いをさせるわけにはいかないと腹を切っていたのだ。お里を取り戻すため、三之助は万五郎のところへ向かうのだが・・・。〉筋書は定番、何と言うこともない「単純な仇討ち、間男成敗の物語」。主役は三之助(虎順)に違いないのだが、見せ場は「落ち目」になった三衛門の「病身」の風情にあった。いわゆる「ヨイヨイ」で、身のこなしが「思うに任せない」様子が何とも「あわれ」で、通常なら「泣かせる」場面だが、景色は「真逆」。カタをつけにきた万五郎とのやりとり、(三之助が書いたと言われる証文を手にして、文書の裏を見ながら)「いけねえ、いけねえ。もう目も見えなくなって来やがった」「・・・?。何やってんだ。それは裏じゃねえか」「・・・そうか、裏か」といって表に返し「・・・?。ダメだ。字も読めなくなってしまった。オレノ知っている字が一つもねえ・・」「・・・?バカ、それじゃあ逆さまだ」「なんだ・・・。逆さまか」が、何ともおかしい。加えて、「落ち目」三衛門に見切りをつけ、万五郎と「いい仲」になろうとする姉御(春日舞子)に思い切り蹴飛ばされ・・・。(ひっくり返りながら)「今日は、これくらいですんだ。まだ、いい方だ」といって笑わせる。自刃の後、三之助の帰宅を見届けて、「大衆演劇って便利なもんだ、こんな時には必ず倅が帰ってくることになっているんだ!」、極め付きは臨終間際、「お里を連れ戻し、オレの仇を討ってくれ」と言いながら「事切れた」か、と思った瞬間、息を吹き返し「あっ、そうだ、忘れてた。もう一つ言わなければならないことがあったんだ」で、観客は大笑い。「妹を助け出すことができたなら、里恋峠の向こう更科の地で、鋤・鍬もって《綺麗に》暮らせよ」と進言。「今度こそ、本当に死にます」と断りながらの臨終は、「お見事」。
 九州の大川龍昇・竜之助にせよ、関東の龍千明にせよ、およそ名優というものは「悲劇を悲劇のまま終わらせない」、さげすまれ、いじめられ、哀れな様相の中でも、必ず「笑わせる」。なぜなら、その「笑い」こそが、弱者からの「共感」「連帯」の証であり、明日に向かって生きようとする「元気の源」になるからである。
 舞踊ショー、蛇々丸の「安宅の松風」は天下一品。弁慶、義経、富樫の風情を「三者三様」、瞬時の「所作」「表情(目線)」で描き分ける「伎倆」は「名人芸」。座長・鹿島順一の「至芸」を忠実に継承しつつ、さらなる精進を重ねれば「国宝級」の舞姿が実現するに違いない、と私は思う。
(2009.5.20).