梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「コロナ 専門家への疑問の声」

 東京新聞11月21日付け朝刊(25面)に「週刊ネットで何が・・・」(ニュースサイト編集者・中川淳一郎)という記事がある。今日の見出しは「コロナ 専門家への疑問の声」であった。〈新型コロナの「第3波」が来たと専門家が述べているが、ネット上では、専門家に対する疑問の声が多数書き込まれている。〉という書き出しで、要するに、新型コロナウィルスに関する様々な「見解の相違」を、手際よく紹介している。
■「コロナは大変なウィルス」派VS「コロナはたいしたことない」派
■「何が何でもマスクをしましょう」派VS「マスクは必要な人(医療従事者や風邪症状の人)が必要な時に」つければよい」派
▲「マスク会食」(専門家の提言)VS「飲食時のマスク着用などザル」(高山義浩医師)


■「高齢者にうつすと大変だから若者は自粛せよ」派VS「現役世代は経済を回すべく積極的に動き、むしろ自粛すべきは高齢者」派  
■「致死率は低いのだからもう気にしなくていい」派VS「海外ではひどい状態。後遺症が残る人も多いから最大限きをつけるべきだ」派
▲「緊急事態宣言を出さないでほしい」(飲食店)VS「何でこの半年で転職しない?どう考えてもコロナ出てきたら」続けられない業種だろ」
 まさに「何が何だかわからない」有様で、国民(私)は途方に暮れる他はないが、筆者の中川氏は、「専門家」の慎重派は、福島原発事故の際の「楽観論」がバッシングを受けたことに影響され、「専門家の間には最悪の事態を想定した論を述べなくてはまずい」という考えが広がったのではないか、と結んでいる。だとすれば、専門家は「肩書き」だけで「世渡りをしようとしている」に過ぎず、全く当てにならない連中ということになる。多種多様な見解が取り沙汰されることは「民主的」かもしれないが、「いつまでたっても一つに決められない」(真理を見極められない)幼稚さ・未熟さもつくまとう。今も、日本の社会は、「一億総マスク」現象を呈しているが、それは「一億総未熟化」現象が露呈した結果ではないかと、私は思う。
(2020.11.21)