梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「巴里の屋根の下」(監督・ルネ・クレール・1930年)

 DVDで映画「巴里の屋根の下」(監督・ルネ・クレール・1930年)を観た。この映画はルネ・クレール監督のトーキー第一作目の作品である。だから、まだサイレント時代の空気が色濃く残っている。登場人物の会話の詳細は語られず(表情、ジェスチャーだけでパントマイム風に描出され)、要点(結論)だけが手短に「音声」化される傾向が強かった。しかし、肝腎の主題歌や暗闇の中の「対話」などは、いうまでもなく音声で表現され、まさにトーキーならではの特長が十分に活かされていたと思う。
 物語の舞台はパリ、といっても貧しい人々が肩を寄せ合って暮らす区域。主人公は、その町の音楽師、今で言えばシンガーソングライターのアルベール(アルベール・プレジャン)。狭い一郭に人々を集め、自作の楽譜を1枚1フランで売り、その歌の「歌唱指導」をしながら暮らしている。他にはアルベールの友達・露天商のルイ(エドモン・T・グレヴィル)、アルベールの歌を聴きに来た可愛い娘・ポーラ(ポーラ・イレリ)、知り合いの空き巣常習犯、ならず者たちのボス・フレッド(ガストン・モド)、町の警官らが登場する。
 冒頭、アルベールの歌声に聞き入り、楽譜を求める人々の様子が描かれる。その歌は「巴里の屋根の下」、観客はその歌を聴くうちに、これから始まるドラマの主題が察しられる仕組みになっている。したがって、その歌詞は聞き流すわけにはいかない。
《歌詞》
◆年は20歳 花咲き乱れる春/愛し合うには最高の時/風薫る真っ青な空/イヤと言いつつ身をゆだねるニニ/その日勝利の女神はいつものように/パリの屋根の下愛にほほえむ//誓いを忘れた愛する人は/彼女を残し去ってゆく/哀れなニニは夜ごと涙にくれ/ある夜出くわした憎き相手/青年は許しを請う僕が悪かった/許しておくれ愛しい人よ/ パリの屋根の下喜び溢れるニニ/愛する人と再び巡り合えた/青年は言う時は熟した/僕と結婚しておくれ/二人のきずなは壊れちゃいない/すべてを水に流しキスしておくれ/ニニが許せば幸せが舞い降りる/パリの屋根の下こんな具合さ//・・・。
 ここまで歌ったとき、突然、アルベールは歌うことを止め、ある男に近づいていった。アルベールを取り巻いていた人々の中に、空き巣常習犯の男、ポーラ、フレッド、ルイらがいたが、男がポーラのハンドバッグから紙幣を掏摸取ったのを目撃したからだ。アルベールは男が他の中年女性から蟇口を掏摸取ったときには「見て見ぬ振り」をしていたので、彼らは仲間に違いない。また、日頃からポーラの可愛らしさにに惹かれていたフレッドも男に目をつけていた。アルベールは男から紙幣を取り戻し、ポーラに返しに行く。フレッドも男から蟇口を取り上げポーラに返したが、それは中年女性のもの、ポーラは「知らない」という素振り、これらのやりとりはほとんど無言劇で展開する。
 主題歌にはニニと青年、憎き相手が登場するが、ニニはポーラ、青年はアルベール、憎き相手はフレッドのことだろうか。
 ちなみに、アルベールが中断した歌詞は、(本来なら)以下のように続く。 
◆娘は20歳年老いた母がやさしく話しかける/お前にも苦労をかけてきた/貧乏なのは見ての通り/でもお前にもきっとわかるはず/幸せが何かということを/パリの屋根の下見てごらんニニ/幸せなのさ一緒にいれば/ひとりぼっちじゃ気がつかないけれど/互いに歩み寄れば見えるはず/お前の愛があれば何もいらない/ママといれば悩みもないさ/だから心を開き花を摘むように/パリの屋根の下幸せを摘もう/ある日現れたステキな青年/歌に出てくるような美青年/彼女に近づき褒めそやし/甘い言葉でとりこにする/ニニ心から誓うよ君が大好きだ僕といておくれ/パリの屋根の下僕の部屋の中/愛し合えたらどんなにステキか//。

 いずれにせよ、アルベールとフレッドがポーラという娘を巡って「愛憎劇」を演じるだろうと予感させる冒頭場面であった。
 アルベールとフレッドを比べると「腕っぷし」ではフレッドが上、ポーラは初め強いフレッドに惹かれるが、フレッドに鍵を取り上げられ帰宅できなかった時、アルベールは自室に招き入れてくれた。ベッドを取り合って一夜を過ごしたが、優しさではアルベールが数段上、やっぱりアルベールと結婚しようと決めた。
 そのとき、アルベールが作った《歌詞》
◆男のひとり暮らしはわびしいばかり/昼になっても食欲もわかず/レストランでは味気なく早食い/コーヒーばかりじゃ体がもたない/だけど可愛い女房が一緒なら/クリームのパイやらデザート尽くし/たまには不思議な手料理で/お腹もびっくり刺激する/山盛り料理を残せば大変/言い訳に困りしどろもどろ/食べ過ぎてお腹を壊しても/女房の心配顔につらさも吹っ飛ぶ//狭い小部屋に一人じゃ退屈/昼と夜の区別もつかず一日が過ぎてゆく/独身生活の悩みはヒマつぶし/読書も昼寝ももうたくさん/だけど可愛い女房が一緒なら/赤ん坊も生まれ息つくヒマもなし/夜には犬がじゃれついて/猫やカナリアも大合唱/女房のトランペットが耳障りでも/子どもの相手にうんざり/庭いじりすりゃ気分も紛れる/愛さえあれば丸く収まる//一人暮らしじゃ会話もできず/相手がいなきゃ気晴らしもない/眠れぬ夜はパジャマでひとり/クロスワードよりキスが恋しい/だけど可愛い女房が一緒なら/二人でなんでも楽しめる/焼きもち焼きも覚悟の上さ/浮気をしたらこの世の終わり/女房の小言にうんざりしても/のどもと過ぎれば気にならないさ/可愛い天使がパパママと呼べば/この世の幸せかみしめる//。.


 しかし、アルベールはその幸せを噛みしめることはできなかった。思わぬ障碍が突発したのだ。空き巣常習犯から中身も知らずに預かった盗品がアルベールの部屋で見つかり、アルベールは半月以上も警察に拘留されてしまった。釈放されて家に戻った時、ポーラの気持ちはアルベールの親友ルイの方に移っていた。・・・万事休す!
 それを知ったアルベール、一時はルイと対決しようと思ったが「サイコロで決めよう」と言い、《わざとまける》。そこらあたりがアルベールの《男らしさ》であろうか。 
 この映画からシャンソン「巴里の屋根の下」を除くことはできない。初めてのトーキーだからこそ、その歌声を聴くことができるのだから。アルベールは日本流に言えば「町の演歌師」もしくは(かつての)「浪曲師」、「シャンソン」は「ストーリーのある浪花節」に相当するかもしれない。貧しい人々を中心(主役)にする監督ルネ・クレールの目は、やがて「自由を我等に」で囚人に向けられていく。  
(2020.8.16)