梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「ブローニュの森の貴婦人たち」(監督・ロベール・ブレッソン・1944年)

 DVDで映画「ブローニュの森の貴婦人たち」(監督・ロベール・ブレッソン・1944年)を観た。舞台はパリ、登場人物は貴族の女性・エレーヌ(マリア・カザレス)、その恋人・ジャン(ポール・ベルナール)、エレーヌの故郷の隣人(リュシェンヌ・ホガエル?)の娘・アニエス(エリナ・ラブルテッド)。
 タイトルの「貴婦人たち」とは、エレーヌと故郷の隣人、その娘アニエスを指しているらしい。エレーヌは毎日を遊んで暮らす、まさに上流階級の貴婦人だが、かつての隣人は破産、今は娘アニエスをキャバレーの踊り子にしてその日暮らしをしているようだ。
 エレーヌは今日も恋人ジャンと芝居見物を楽しもうと出かけていったが、すっぽかされてしまった。うすうす感じていたが、どうも最近はジャンの心が自分に向いていない。芝居の後、昔の友人と帰宅途中、「彼はもうあなたを愛していない」と忠告される始末、その場では「今でも愛し合っているわ」と否定したものの、なぜ今日のディナーをすっぽかしたのか、釈然としなかった。帰宅して自室に戻ると、ジャンが待っていた。「ジャン!」と叫んで、瞬時に表情が緩んだが、ジャンの苦し紛れの言い訳が白々しい。今日は2年前初めて二人が出会った記念日なのに忘れるなんて・・・。金のシガレットケースをプレゼントした後、「試してみよう」と、カマをかける。「実を言うと昔ほど気持ちがはずまなくなってしまった。心変わりは私の責任、ごめんなさい」。それを聞いたジャンの表情が輝いた。「君はなんて素晴らしい女性なんだ!本当の気持ちを打ち明けてくれた。勇気がある。僕の気持ちと同じだ。これからはお互いに自由を楽しもう。でも親友同士、何かあったら助け合っていこう」。エレーヌの表情が凍っていく。「やっぱり・・・」。万事休す。「では、今日は帰るよ」という言葉を残してジャンは去って行く。エレーヌは決意した。「復讐してやる!」。以後、その復讐劇が始まる、といった展開でたいそう見応えのあるドラマであった。
 エレーヌは、没落し今はキャバレーの踊り子として最低の生活を送っているアニエス母娘に目をつける。彼女たちの生活を全面的に援助しながら、ジャンとアニエスが結びつくようなお膳立てをするのである。まず、上流階級への復帰のため、住居を用意し、ブローニュの森へ散歩するように誘う。そこにジャンを同行し、二人を引き合わせる。次に、食事に招き、ジャンも同席するように・・・。次第次第に二人が惹かれ合うように・・・。この策略が功を奏して、とうとう二人は結婚を迎える。式の準備も段取りもエレーヌの仕事だ。式は滞りなく終わり、新郎新婦は幸せの絶頂、賓客に挨拶をしているとき、エレーヌも訪れ、ジャンの耳元で囁いた。「みんな同情しているわ、とんでもない娘と結婚したって、聞いてごらんなさい」。何のことかわからないジャン「何を誰に聞く?」「アニエスによ」。いつのまにかアニエスの姿が消えた。花嫁の控え室に閉じこもるアニエスを見つけたが「もう誰にも会えない!エレーヌエから聞いたんでしょ?」「何も聞いていない。いいから外に出るんだ」と言うと、「もう死にたい」といってアニエスはその場に卒倒した。心不全の発作らしい。手当を頼み、ともかく「確かめよう」とエレーヌを探す。外に出て車に乗ると、エレーヌが顔を見せた。「いったい何があったんだ、頭が変になりそうだ」。エレーヌは勝ち誇ったように「あの娘はキャバレーの踊り子だった。結婚したからもう離れられない。私を弄んだ結果よ。女を甘く見ないでね」。絶句するジャン、しばらくして「罠だったか」と呟いたが後の祭り。復讐は見事成功したのである。 
 アニエスは家に戻され、死んだように横たわっている。そこに焦燥しきったジャンが現れた。母は「もうどうしてよいかわからない」と混乱している。ジャンが静かに近づく
と、アニエスは目をつぶったまま「来てくれたのね」と話しだした。「あなたのことを愛しているから本当のことが言えなかった。ジャマにならないようにするからそばに置いて欲しい。」と懇願する。とぎれとぎれに話すアニエスの言葉を聞いて、ジャンの気持ちが変わっていく。「もう周りから何と思われてもいい。僕はアニエスとともに生きよう」。
そして「アニエス!僕だって君を愛している!生き延びるんだ」・・・「生きるわ」。ジャンがアニエスの手を握りしめたとき、この映画は「FIN」となった。
 この映画には、一人の男を巡って、上流階級・貴婦人からの復讐劇、没落貴族の娘とのメロドラマが「綯い交ぜ」にされている。どちらのドラマに惹かれるかは観客の自由だがエレーヌにとっても、アニエスにとっても「大願成就」のハッピーーエンド、大変なのはジャン一人、要するに、いつの時代、どこの場所でもつねに「女性上位」であることが人類の条理(ことわり)であることがわかった次第である。
(2020.8.15)