梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「病人」から「老人」へ

 今日は亡母74回目の命日だ。ちょうど去年の今日、私は《「病む」ということ》という駄文を綴った。その結びは以下の通りである。
〈最近は、腰痛が拡大して、「歩行困難」になった。なぜか。まだ若いつもりで「歩き回った」からである。自業自得、私の身体が「しっぺ返し」をしたのである。「いい気になるな、おまえは見境もなく生き続け、十分に老いたのだ。もう昔のように自由にはさせないぞ。身の程をわきまえろ!」という声が聞こえる。でも、止まることはできない。一歩進むたびに激痛が走る。杖が欲しい。しかし、ソロソロと「ゆっくり」歩けば、痛みは減る。階段を避けエレベーターを使えば、昇降も可能だ。まだ当分は、外出・移動ができるかもしれない。不便・不自由に耐え、辛抱に徹する。「病む」とはそういうことなのである。(2018.3.19)〉
 その後、6月に「急性心筋梗塞」を発症、緊急手術により一命をとりとめたが、さらに「後鼻漏」による呼吸困難、「逆流性食道炎」による吐き気、食欲減退、体重低下(10キロ減)、「脊柱管狭窄症」による「間欠性跛行」の再発など、私の「病」は拡大する一方であった。
 「だがしかし」である。昨日の「整形外科」の担当医は「まだ手術の必要はありません」と言い、2か月分の内服薬(リリカカプセル75mg)を処方した。そして今日は「循環器内科」の定期(月1回)受診日だった。主治医は「体調はいかがですか」と尋ねたので、私は「体重が10キロ減りました。左胸に違和感もあります。脊柱管狭窄症のMRI検査による診断では、まだ手術の必要はない、ということでした」と答えた。主治医は「そうですか。では血圧を測りましょう」「・・・・」「125と68です。値に問題はありません」、「では、胸を開けてください」と聴診器を取り出した。いつもはしないことなので、私は戸惑い、慌てて上着をまくり上げる。3~4カ所に聴診器を当て、「はい、どうも。大丈夫です」ということで、診察は終わった。「いつもの薬を出します」と言い、1か月分の内服薬(7種類)を処方した。
ということは、私は2か月に1回整形外科、1か月に1回循環器内科、そして(従来通り)2か月に1回泌尿器科を受診すればよいということである。つまり、もう「病人」として生活する必要はなくなった。そうだ、「病人」ではなく「老人」になるのだ、幸いなことに体重は減り、中年太りの証だった「腹の出っ張り」も引っ込んだ。これからは、痩せた老人として「分相応」に(普通に)生きればよい。そう考えると「元気」が出てきた。
 亡母の命日に、私は「病人をやめる」ことを決意したのである。
(2019.3.19)