梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

車中、「三分間のドラマ」

 いつもの駅から、いつもの電車に乗った。私の後から、80歳代とおぼしき男性が続き、出入り口付近に立つ。その時、座席(優先席ではない)にすわっていた20歳代とおぼしき若者(男)が、つっと立って、その男性に席を譲った。男性は、ちょっと会釈して、着席、電車は走り出した。どちらも「無表情」、そして「無言」・・・。男性の血色は衰え、足元もおぼつかない。若者は小柄で、風采も今一歩、精気みなぎる風情とは言い難かった。電車は三分ほどで次の駅に到着。その時である。席を譲られた男性は、ゆっくりと立ち上がり、若者に深々と頭を下げると、電車を降り去った。若者は無言のまま、もう座席に座ろうとはしない。私は、老いた男、そして冴えない若者の「無言劇」に感動していた。まず第一に、席を譲る若者の存在。頭ではわかっていても、行動に移せる若者は稀少である。自分を飾るために行動する若者がほとんどのなかで、他人のために自分を譲れる若者がいるのだ。第二に、たった一駅しか乗らないのに、若者の厚意を無にしなかった男性の度量、矜持・・・。「次の駅で降りますから」と辞退することは簡単、むしろその方が自然かも知れない。にもかかわらず、男性は若者の厚意に従った。もしかしたら「次の駅で降りるのに・・・」という非難の目に晒されるかも知れなかったのに・・・、である。第三に、この男同士のドラマが終始、無言のまま展開したこと、その「阿吽の呼吸」が素晴らしかった。男性が深々と頭を下げたとき、心の中でどんな言葉をつぶやいていたのだろうか。男性が降り去った後、若者が「もう座席に座ろうとしなかった」のはなぜだろうか。(2009.4.1)