梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇場界隈・信州大勝館(上山田温泉)

 午後4時、長野しなの鉄道戸倉駅着。タクシーで上山田温泉・信州大勝館に向かう。入口で休館でないことを確認し「宿探し」に行こうとすると、中から従業員に呼び止められた。「今日はどこにお泊まりですか?」「まだ決まっていません」「それなら、良い宿を紹介しますよ。ともかく中にお入り下さい」ということで、お茶までごちそうになった。「どちらからお出でですか?」「千葉です」「それなら、佐倉にも行かれましたか?」「(早乙女)太一さん、見に行きましたよ」「あら、そうでしたか。私たちも見にいったんですよ」「大入りだったでしょう」「大入り大入り・・・。」などと、話は尽きない。紹介された宿は、徒歩1分「小石の湯・正明館」ということであった。素泊まり3800円なら、ビジネスホテルより廉価。しかも、そこは由緒ある老舗旅館であった。浴室の入口には以下のような掲示がある。〈小石の湯伝説 むかしむかし、ここ千曲川のほとりにお政という美しい娘がおりました。ある夏の日のこと、江戸から長旅の途中、病にふせる男・米吉を救ってやりました。やがて二人は恋仲となりめでたく祝言を挙げました。村人も羨ましがるほど仲睦まじく暮らしておりました。ある秋のこと米吉が江戸への用向きで旅立ったまま音沙汰がなくなってしまいました。ある夜、米吉を待ち途方に暮れるお政の夢枕にお観音様がお立ちになった。「米吉を救いたくば、千曲川原の赤い小石を百個奉納しなさい」と言って消えてしまわれた。それからというもの、お政はただ一心に小石を探し求め、ある冬の寒い日、一筋の湯気が立ち上る所から、どうにか百個目の石を探し当てました。そうそうに、観音様に奉納すると、ほどなく愛しい米吉は無事お政のもとへ戻りました。村人たちは、観音様のお導きの湯を「小石の湯」と名付け、今の世に伝えているのです。〉なるほど、浴室の観音像の前には小石が積み上げられている。泉質は硫黄泉、源泉かけ流しの「名湯」であった。午後5時、夕食がてら温泉街を散策しようと表に出たが、愕然とした。休前日だというのに、開店している飲食店が見あたらないのである。辛うじて1軒の居酒屋に入り夕食、午後7時から信州大勝館で大衆演劇。入館して、また驚いた。開演30分前観客2名、15分前3名、5分前4名、時々、役者が舞台幕の隙間から客席を窺う様子、「無事に幕が開けられるうかどうか」こちらの方が心配になってきた。だがしかし、7時ちょうど、おそらく「いつものように幕が開く」。出演は「おおみ劇団」(座長・おおみ悠)。座長・おおみ悠の舞台は初見だが、叔父の近江飛龍、兄の蛇々丸を私はよく知っている。いずれも芸達者、斯界屈指の「名優」が身内とあっては、「一度は見ておかなければならない」劇団であった。「劇団紹介」によれば、〈プロフィール おおみ劇団 平成13(2002)年3月1日旗揚げ。座長の叔父である「近江飛龍劇団」近江飛龍座長のもとで子役から舞台に立っていたが、のれん分けで独立。現在座員8名の中、特に3姉弟が力を合わせ、頑張っている。若い座長のかわいらしさと、舞台で見せる迫力とのギャップが魅力の劇団である。座長 おおみ悠 昭和59(1984)年8月6日生まれ。和歌山県出身。血液型B型。親族はほとんど大衆演劇の役者という家系で、1歳半で初めて舞台で歌を歌う。叔父にあたる近江飛龍座長のもとで「近江童(おうみわらべ)という名で役者をしていたが、旗揚げ時に改名。おおみ悠の「悠」は、「悠々」とした人間を目指して、という意味も込められている。踊りが好きで、総舞踊の演出なども、手掛けている〉ということである。また、キャッチフレーズは〈大衆演劇界の、かわいいつぼみの花たち!! 花に例えると、まだつぼみのような、かわいい雰囲気の座長、そして副座長。いつか大輪の花を咲かせるため、まだまだ勉強中と、日々奮闘している「おおみ劇団」です〉であった。芝居の外題は「深川情話」、筋書きは鹿島劇団・「月の浜町河岸」とほぼ同じ、要するに料理屋の仲居(おおみ美梨)から財布をすったスリ(座長・おおみ悠)が、目明かしの親分(近江ケンタロウ)に「現行犯」で捕まったが、仲居はスリをかばい「その財布は私があげました」と言う。スリは改心、その様子を見た目明かしも「ほら、きれいな月だ、見てみろ・・」と言いながら、縄をほどいてしまう。仲居には情夫(三花れい)がおり、金を貢いでいたが、これが性悪で、新入りの仲居(大川町子)と遁走した。1年後、仲居は主人(沖田秀・「劇団舞姫」より出張)に見そめられて店の女将に、スリは堅気の小間物屋(またはかんざし職人)として自立、しかし、性悪な情夫は「金の切れ目が縁の切れ目」か、一緒に遁走した女に捨てられ、落ちぶれ果た姿で再び店先へ・・・。女将に出世した「昔の女」を恐喝する。そこに居合わせた元スリの小間物屋、情夫とその一味と対決、全員を片付けた。せっかく堅気になれたのに再び縄をかけらる羽目に・・・。今度ばかりは「傷害致死」もしくは「殺人」罪、目明かしも見逃がすわけにはいかなかった。でも1年前と同様、「ほら、きれいな月だ、見てみろ・・」と言って、縄を解き放つ。名乗って出た方が罪も軽くなるだろう、という計らいなのである。元スリの小間物屋、本当は仲居のことが好きだったのだ。でも今は、立派な旦那がいる。せめてもの「恩返し」、どこか「一本刀土俵入り」の風情も加わって幕となった。  芝居・舞踊の「出来栄え」は、「上品」で一級品、劇団員は女優が多く「立ち役」も立派にこなすので、例えて言えば、「大衆演劇のザ・タカラヅカ」、本物よりは数段上の「実力」だと、私は思う。しかし、観客数は10名程度、劇団員の人数よりも少ないとは、誠に「もったいない」話である。ラストショーも終わり、夜9時20分、劇場の外に出て、また驚いた。折から冷たい雨が降り出しているにもかかわらず、6時頃には閉まっていた「飲食店」が一斉に店を開け、赤い灯、青い灯、極彩色のネオン街の幕が上がっていたのである。なるほど、旅館・ホテルで夕食を終えた宿泊客が「射的」「カラオケ」「スナック」へと繰り出す時間なのか。それにしても、夕方の「うらぶれた」「わびしい」飲食店街の景色はどこへやら、各露地、横町にたたずむ「客引き」の活気には圧倒された。まさに、温泉街の「夢は夜ひらく」風情であった。
(2008.10.20)