梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・芝居「会津の小鉄」(鹿島順一劇団)

【鹿島順一劇団】(平成20年2月公演・川越・三光ホテル「小江戸座})                  芝居の外題は、昼の部「会津の小鉄」(主演・花道あきら)、夜の部「一羽の鴉」(主演・蛇々丸)。昨年11月、柏健康センターみのりの湯で、初めて「鹿島順一劇団」を観たとき、「目を空いたまま」盲目の役を演じることができる、たいそう達者な女優がいるのに、また、所作と表情だけで「笑い」をとれる、たいそう達者な男優がいるのに、全体としては「観客との呼吸が合わず、盛り上がりに欠ける」という感想をもった。芝居の外題すら覚えていなかったが、今日の観劇で思い出した。そうだ、あの時の芝居は、まさに「会津の小鉄」だったのだ。今日の舞台は、あの時とは打って変わり、「天下一品」「至芸そのもの」という出来栄えであった。たった三月の間に、この劇団の「実力」が向上したわけではない。「劇団」本来の「実力」が今日は十二分に発揮できたのである。舞台は水物、観客との呼吸次第だということがわかった。この外題は、いわば大衆演劇の定番、どこの劇団でも十八番にしているが、今日の舞台を超える出来栄えは観たことがない。役者一人一人の「実力」はもとより、配役、舞台構成、照明効果、音響効果に「非の打ち所がない」のである。敵役の名張屋新蔵(座長)に満座の席で恥をかかされ、復讐しようと呼び出したまではよかったが、そこでも同行した兄弟分を返り討ちで亡くし、指まで詰めてすごすごと帰宅した高坂仙吉(花道あきら)、盲目の恋女房・お吉(春日舞子)には隠していたつもりが、すでにお見通しだった。「あたしはおまえさんの女房だよ。そんなこと知らずでどうするものかえ」「兄弟分まで殺されて、すごすごと帰ってくるなんて」と、責められる。仙吉「おれは、お前一人を残して逝くわけにはいかなかった」「あたしのことなら心配いらない。眼は不自由でも女一人、何としてでも生きていける」「そうか、じゃあ敵討ちに行ってもいいんだな」「こんなこともあろうかと、用意しておいたよ」と着せられる白装束。「ありがとよ、これで男の意地が通せる」勇んで出立しようとする仙吉を、「あっ、おまえさん待って」と呼びとめ「後に心が残ってはいけない。どうぞ存分にうらみを晴らしておくんなさい」と言いながら、お吉は自刃した。思いもよらぬ女房の死、だがもう、仙吉が失うものは何もなかった。「わかった。存分に働いて、すぐに後から逝くからな」一景は、愁嘆場(京極幸枝若口演の節劇は秀逸)で幕が下りた。
 二景は打って変わり、底抜けに明るい舞台、腹を減らした二匹の素浪人・宮本むさくるし(蛇々丸)、佐々木乞食(春大吉)、フラフラと登場。歌舞伎「もどき」の「三枚目」、京の町にやってきたが、仕事が見つからず無一文、朋輩の鼻まで「団子」に見える。そこへ、新蔵の娘・お京((三代目虎順)が通りかかった。「食い気より色気」、たちまち二人の浪人は「ものにしよう」とナンパする。危機一髪、お京を救ったのは、誰あろう、これから父・新蔵を討ちに向かう途中の仙吉だった。執拗に絡みかかる素浪人、「おのれ、手は見せぬぞ」と「型どおり(歌舞伎調)」の口跡に、「手は見えてるよ」、「みどもの太刀筋をかわしおったな」「そんな太刀筋、誰でもかわせるよ、何ごちゃごちゃ言ってんだ!早く失せろ!」と現代風にいなす仙吉、そのやりとりが実におもしろい。峰打ちを食らわして二人を退散させると、舞台に残ったのは仙吉とお京。「助けてくれと頼んだ覚えはない。お礼は言わないよ」と突っ張るお京に、「気の強え娘だ。おまえさん名前は?」「あたし?あたしは、京都一円を取り仕切る名張屋新蔵の娘・お京と言うのさ!」そうだったのか、では、あの憎っくき仇の娘か、まあいいや、先を急ごう、二人は連れだって、名張屋一家へと向かう。
三景は、新蔵宅。娘の帰りが遅いのを心配する新蔵。子分を迎えにやらせようとしたとき、お京が帰ってきた。「今、京の町は危険がいっぱい、娘のひとり歩きは物騒だ。・・・・」くどくどと説教を始める新蔵に、「お父っつあん、もう終わり?」、馬耳東風のお京。「あのね、悪いお侍に絡まれたの」「そら、言わんこっちゃねえ。お前にもしものことがあったら、死んだおっ母さんに申し開きできねえ・・・・」「お父っつあん、もう終わり?でもね、私を助けてくれたお人がいたの」「そうかそうか、で、その人はどこのお方だ」「知らない!」「なんだ、お前、助けてくれたお方の名前を聞かないできたのか、それじゃあお礼もできないじゃないか」「そんな心配いらないわ、今、そこに来ているもの」「それを早く言わないか、早く家の中にお通ししろ」
 かくて、仙吉は仇敵・新蔵と対面する。「どこのお方か存じませんが、このたびは娘の危ないところをお助けいただき、ありがとうがござんした」丁重に礼を言う新蔵に向かって、「やい新蔵、よくもオレに恥をかかせやがったな!今日は兄弟分の仇を討ちに来たんだ」と仙吉は宣言する。「なあんだ、お前は仙吉か。返り討ちに遭う前に消え失せろ!」「そうはいかねえ。お前に渡すものがあるんだ」「ふうん、手土産持参とは感心なやつだ」仙吉が渡した「手土産」とは、恋女房・お吉の生首、驚愕する新蔵、しかし「おまえの女房にしては出来過ぎ、相手になってやろう」、抜刀して立ち上がる。「望むところだ、覚悟しやがれ!」情感溢れる法華太鼓をバックに、たちまち始まる立ち回りは、小道具の脇差しが本身と見間違うほどの真剣勝負、見事な殺陣であった。わずかに仙吉のドスが優り、新蔵は深手を負う。子分達は黙っていない。「野郎!ゆるさねえぞ」といきり立つのを静かに制し、新蔵は言った。「もし、仙吉さん。勝負はついた。オレの負けだ。それにしても、お前はいい男だなあ・・・」「何だと?」荒い息の中から新蔵の長ゼリフ。要するに、妻に先立たれ、自分も労咳、一人娘の行く末を案じて「婿」を探したが、どれをとっても「帯に短し襷に長し」で見つからない、そんなとき、白羽の矢が立ったのは仙吉だった、しかし、仙吉はすでに所帯持ち、「婿」にはできない腹いせに、万座(花会)の席で 恥をかかせた次第、馬鹿な親だと嗤ってくれ、お前からもらった小指、兄弟分の亡骸は大切に回向しているつもりだ、という話。座長・鹿島順一の長ゼリフは、それだけで一話の「人情噺」、すべてを察した仙吉に、名刀「小鉄」と一家の行く末を託し、亡妻のもとに旅立つ新蔵、それを支える仙吉、お京、子分たち、どの劇団の舞台でも観ることができない「至芸」(会津小鉄誕生秘話)であった、と私は思う。ただ単に「意地の張り合い」「格好良さ」を形で見せるのではなく、底に流れる「人情」に注目し、それを役者のキャラクターに合わせて表現しようとする「演出」が、群を抜いているのである。
舞踊ショーでは、三代目・虎順の「蟹工船」「忠義桜」は絶品。南條影虎の女形舞踊「夢千代日記」を追い越せれば、若手ナンバーワンになる日も遠くない。
(2008.2.15)