梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・51

■音声識別と場面
【要約】
 “言語理解”が言語以外の条件(場面)によっている場合が多い。 
カリツォーバは、成人が談話を与えるとき、その音調が一定であり、また身振りや場面も一定であるときだけ、要求している条件(“理解”)反応を示すことを実験的に確認している(Kogan,1964)。0歳8ヶ月の子どもは母の「お父さんはどこ?」という談話に対して、①寝室で、②母の手の中にすわり、③疑問的な音調で、という条件のもとでは“正しい理解”を示した(父の方へ向いた)が、①食堂で、②腕に横に抱かれているとき、③怒り声のときには“正しい理解”を示さなかった(無反応、微笑し手をたたく、口を少し開き母を見つめるなど)


【感想】
 ここでは、子どもが相手の談話を理解する際には、音声だけでなく「場面」を参考にしていることを見落としてはいけない、ということが述べられている。かつて、自閉症児らの宿泊学習を行ったとき、担任が一人の子どもの荷物整理を行い、つぎの一人(自閉症児)に「リュックサックを持ってきて」と言うと、彼は自分のリュックサックを担任に手渡した。《だから》「リュックサックという言葉を理解している」とは限らない、と私は思った。その時の場面が、今よみがえってきたのである。(2018.6.24)

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・50

■音声識別
【要約】
 音声に基づく談話の識別は、子どもが音声そのものに積極的で分析的な関心をもつまでは生じてこない。ルイス(Lewis,1951)によると、音声に対する子どもの関心は、原初的な音声模倣(音調をおもな手がかりにする談話“理解”期に対応する時期に生じる)が減退ないし消滅する“模倣潜伏期”(0歳4ヶ月~0歳10ヶ月)ののちに、はじめて生じ、子どもは音声そのものへの関心に基づくその自発的再現(模倣)に興味をもつようになる。これが本格的な音声模倣の開始期である。
 種々の感情状態あるいは欲求状態にあっても、音声の差異を識別しようとし、また識別できるのは人間だけである。動物はつよい欲求状態のもとでなければ、この識別をしようとしない。
《手がかり語》
 乳幼児の最初の本格的な音声識別は、子どもの耳にする一つの談話のなかの一つの語ないし短い句についてなされるという場合が多い。子どもは、手がかりとなる語(または句)以外の差異に対しては、ほとんど無関心である。
 ある1歳児は、gross(大きい)という語を種々の談話文のなかで与えられたとき、それらすべての談話文に同じ反応を示した。それはつねに、Wie gross bist du?(あなたはどのくらいに大きいの?)に対する正しい応答であり、手を頭に乗せる動作であった。これらの文の“理解”はgrossという一つの手がかり語に対する画一的な反応の域を出なかったのである。beisen(かむ)という語の別の実例である。それはつねに、Lass den Wauwau Papa beisen!(イヌにパパをかませてごらん)に対する“正しい反応”であった。さらにこの同じ子どもは、What's your name?に対しても、How old are you?に対しても、同じように自分の名前で答えた。彼にとってyou(r)が手がかり語であったことがわかる(Leopold,1939)。
 彼らの音声識別は、聞かれた談話の一部分について行われるにすぎず、談話全体に及ぶことがない。一方、手がかり語となるものがどのような性質の語であるかについては明かではない。


【感想】
 ここでは、子どもの「音声識別」が、談話の中の一部分から始まるということが述べられている。著者はそれを「手がかり語」と称している。音声識別を可能にする能力は、①聴覚的感度(聴力)、②聴覚的記銘力、③聴覚的弁別力だと思われるが、私たちが外国語を「音声識別」しようとするとき、まず「ジャパン」、「トーキョー」などというキーワード(手がかり語)から識別できるようになることは、体験から明白であろう。 
 談話全体を識別できるようになるためには、全体を記憶できる聴覚的記銘力や、キーワードから類推する④聴覚的類推力や、⑤聴覚的構成力も必要になるので、相当の時間が必要であるということがわかった。 
 自閉症児の場合、聞き取った談話を再現することが容易にできるのに、その談話を理解することが困難だというケースが、しばしば見受けられる。それはなぜなのだろうか。以後を読み進めることで、何かがわかるかもしれない。(2018.6.24)

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・49

7 談話の識別
【要約】
 ここで“談話の識別”とは、子どもが聞いた談話が、その特徴に応じて、安定した特殊反応をおこさせるようになることである。子ども自身の生産する談話が発達するための基本的な条件の一つは、他者の談話の識別にあることはいうまでもない。
■音調・音色の識別
 新生児には、動く対象をある程度追視することや、音に対して頭をその方向に向けようとする反応も生じている(Berlyne,1960;Lipsitt,1963)。これが“定位反射”とよばれているものである。この定位反射は、子どもから距離をもつ外界の刺激に対する、積極的な反応であるために、重要視されてきた。その第1の理由は、人間が社会を形成するのは、視覚と聴覚とを主体とする外界の刺激に対する種々の反応の獲得を通じてであることであり、第2の理由、この種の外界への積極的な反応は、人間の精神発達の最も重要な基盤となる“好奇心”あるいは“探求性”の前兆と考えられる、という点にある。
 乳児の他者音声識別は、はじめは、育児者など、限られた人の談話に対して、主として生じるようである。はじめは、おそらく音声の持続時間と音の強さと高さについての粗大な認知にすぎないと思われる。ピアジェ(Piaget,1945)が0歳1ヶ月の子どもに認めた音声模倣の最も原初的な形である“発生的感染”は、このような認知の特色を示しているようだ。子どもの発声は手本音声が消えると同時に止む。それ以前の子どもの発声は、手本音声の持続時間とは無関係な反射の触発にすぎなかった。
 音色、声調、音調についての識別がつぎに生じる。ルイス(Lewis,1951)によると0歳3ヶ月の子どもでも、偽りの怒り声と本当の怒り声とを識別することができる。
 やさしい親しみのある声調と怒りの声調との識別についてのシャロッテ・ビューラーの研究(Lewis,1951)は、声調に対する子どもの初期発達の様相について、興味ある示唆を与えている。これは0歳3ヶ月から0歳11ヶ月の各月齢10名の0歳期に、この2種の声を聞かせ、それによって喚起される反応の性質を快・不快・中性に分類して、それぞれの反応生起率を示したものである。それらの結果から、つぎのような事実がえられる。
⑴親しみのある声調に対しては、快反応は0歳5ヶ月を過ぎると漸次低下していく。しかし0歳11ヶ月で再び上昇する。
⑵親しみのある声調に対しては、不快反応は終始生じない。
⑶怒りの声調に対しては、初期には快反応もよく生じるが、0歳5ヶ月を過ぎると生じなくなり、それに代わって不快反応が上昇してくる。しかし、その後この傾向は一見退行する。
⑷中性反応は、両声調とも、後半期(0歳6ヶ月ないし7ヶ月以降)に生じてくる。
 これらの事実について、つぎのような解釈をすることができると思う(Lewis,1951)。
⑴両声調に対する子ども側の識別は、0歳6ヶ月ごろに形成されてくる。
⑵声調にとらわれない反応が0歳6ヶ月ごろから生じてくる。
⑶0歳の終期には、音声だけでなく、それが生じる場面の性質が子どもの反応の型を規定してくるので、見かけ上の退行が生じるのであり、この期の反応傾向は発達の兆候を示唆するとみるべきだろう。
 音調・音色の識別は、成人でも重要な役割を果たしている。“ボクはこわいものなんかない”と「ふるえ声」でいう談話を聞いた人は、言語的表示よりも音調に反応し、「彼は怖れている」と解釈するだろう。この場合の音調は“談話の徴候”といわれる。徴候は、乳幼児が談話を“理解”する際、重要な役割を果たしている。 この徴候は音声パターンの変化とともに変化することが多いので、育児者は子どもが音声パターンそのものを識別し、言語理解ができているという感じに誘われることが少なくない。とくに、命令的な談話は、特殊な激しさをもつので、聞き手に注意を促し、特定の行動の解釈や制止を起こさせる効果が大きい。
 しかし、彼らにはまだ談話の構造(文)についての理解は欠けている。


【感想】
 ここで私が興味を惹かれたのは、新生児の「定位反射」から1歳終期までの「音調・音色の識別」に至る、発達のプロセスである。特に、「定位反射」は「社会性」を形成する源泉であり、また「精神発達」の基盤になる「好奇心」「探究心」の前兆であるという指摘は重要だと思った。
 自閉症児は新生児期において、①動く対象をある程度目で追ったか、②音のする方向に頭を向けたか、という2点をチェックしなければならない。
 また0歳3ヶ月以後、育児者の「声調・音色」を他人のそれと聞き分けられたか、親しみのある声調と怒りの声調に対して、どのような反応を示したか、ということも興味深い問題である。
 自閉症状を「心の理論」で説明する専門家もいるが、相手の心が読めない一因として、ここでいう「音調・音色の識別」が不十分なまま、「言語的表示」の意味理解が先行してしまったから、ということは考えられないだろうか。現代では、談話を「言語的表示」通りに解釈してしまう人を「空気が読めない」という。自閉症児に限らず「発達障害」というレッテルを貼られ、場合によっては(自発的に)そのレッテルを自分に貼っている人たちも少なくない。いずれも、新生児期、乳幼児期の「言語発達」がどのような経過をたどったかを、見直してみる必要がある、と私は思う。(2018.6.23)