梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症からのメッセージ」(熊谷高幸・講談社新書・1993年)再読・5

【脳の設計思想】
《要約》
・ヒトの脳の各部位は、一般に、①脳幹、②視床下部、③大脳辺縁系、④大脳皮質、⑤前頭葉という名称で表されているが、米国の生理学者ポール・マクリーンは、進化という観点から、①爬虫類脳、②古哺乳類脳、③新哺乳類脳という三層構造の模式図を提案した。爬虫類脳は、脳幹・視床下部に、古哺乳類脳は大脳辺縁系に、新哺乳類脳は大脳皮質・前頭葉に対応している。この中で、大脳皮質・前頭葉はヒト以外の哺乳類では広い範囲を占めず、ヒトに至って爆発的に増大したものである。
・このことは、私たちに非常に重大な課題を投げかけた。脳幹、視床下部、辺縁系といった脳の深部は、生命維持、欲望、感情というホットな働きを担当する。皮質部はクールで敏速な情報処理を担当する。深部の脳はアナログ的で、皮質部はデジタル的である。私たちは、一つの脳の中に、異なる活動原理をもった二つの巨大組織を抱えてしまったのであり、これが人間に独自の問題を生み出すことになる。
・左半球皮質は言語脳と呼ばれ、右半球皮質は非言語脳と呼ばれ、それぞれの役割を分担しているが、同時に、広大な皮質と深部の脳をつなぐ調整役としての前頭葉皮質も巨大化することのなった。
・巨大組織をいくつも抱えた人の脳は、全体として調和的に機能するときには驚くべき能力を発揮するが、統合を欠いたときには、方向性を見失った迷える生き物になってしまう。これは、障害者だけでなく、すべての人間について言えることだろう。
・このバランス感覚は、システムを構成するすべての組織の働きがかみ合っている時にだけ成立する。皮質という高度の情報処理装置に故障が現れても、原始のエネルギーを色濃く受け継ぐ深部の脳に故障が現れても、システムの方向性は失われやすくなるに違いない。自閉症児の場合は、後者の原因によるつまずきと考えられるのである。
・自閉症はこの設計思想の一番弱点となっているところから現れた障害である、というのが私の仮説である。
・エリーや他の自閉症児の示す幼児期の「超然としていた」「落ち着いていた」「おとなしかった」という印象は、システムのエネルギー的側面に何らかの問題が生じたことを推察させる。この小さな事件が、進化の過程を色濃く受け継いだ脳と、生後、次第に発達し始めるもう一つの新しい脳との間に断絶を生み出したのではないだろうか。
《感想》
・熊谷高幸氏の仮説は、脳幹・視床下部・大脳辺縁系といった「進化の過程を色濃く受け継いだ脳」と、生後、発達する大脳皮質・前頭葉野という「もう一つの新しい脳」との間に「断絶を生み出した」ことが、自閉症の原因ではないか、ということである。たしかに、自閉症の行動特徴をみると、前頭葉野と大脳辺縁系との連絡が「断絶」しているように感じられないこともない。ウィキペディア百科事典では、前頭葉野が障害を受けると、以下の現象が生じると記されている。①精神的柔軟性や自発性の低下。しかし、IQ の低下は起きない。②会話の劇的な増加または減少。③危険管理や規則の順守に関する感覚の障害。
④社交性の増加または減少。⑤眼窩前頭野の障害は独特な性行動を引き起こす。⑥背外側前頭野の障害は性的興味の減少を引き起こす。そのいくつかは、自閉症の行動特徴に該当している。しかし、ではいったい何故に前頭葉野が障害を受けたのか、ということになると判然としない。また、著者が述べている「脳の設計」は、自閉症が発見される1943年以前から、とうの昔に「出来上がっていた」とすれば、「なぜ1943年まで発見されなかったか」という問題には答えていない。もし「巨大組織をいくつも抱えた人の脳は、全体として調和的に機能するときには驚くべき能力を発揮するが、統合を欠いたときには、方向性を見失った迷える生き物になってしまう。これは、障害者だけでなく、すべての人間について言えることだろう」ということであれば、自閉症は「人類の歴史」とともに「存在」していなければならないはずである。
 私自身も、かつては「視床下部」の感覚機能不全(感覚過敏、又は感覚鈍磨)が「大脳辺縁系」に影響をもたらし、それが「前頭葉倻」の障害を招いているのではないか、と考えたこともあった。しかし、今は、自閉症の行動特徴は、「人間を含めた哺乳動物のすべてに備わっている《回避反応》《葛藤行動》の現れに過ぎないのではないか」と思っている。その理由は、ただ一点、自閉症児を「第三者」(彼)として観る立場から、「第二者」(あなた)として観る立場に「変わらざるを得なかった」(私の身内に自閉症児が誕生した)からである。(2015.11.7)