梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

《追悼》ありがとう三代目・鹿島順一! 

 三代目・鹿島順一の(たぶん?)初月忌にあたる6月25日、私もまた「急性心筋梗塞」の症状に襲われた。夜半から夜明けにかけて胸に違和感を感じていたが、午前6時を過ぎると「疼痛」に変わり、冷や汗、息苦しさも伴ってきた。いつもなら「肋間神経痛?」ぐらいな気持ちでやり過ごしてしまうところだが(痛みも軽減するところだが)、今回は違っていた。このままでは一日もたない、「とにかく診察を仰がなければ」という思いで救急車を要請、緊急の入院・手術によって一命をとりとめた。
 まったく「いい奴ばかりが先に逝く どうでもいいのが残される」という小林旭の歌(「惚れた女が死んだ夜は」詞・みなみ大介、曲・杉本真人)そのままに、三代目・鹿島順一の面影を追うほかはない。
 今から10年前(平成20年)、「鹿島順一劇団」は関東をまわっていた。2月公演は川越三光ホテル、三代目・鹿島順一は当時16歳、まだ三代目・虎順と名乗っていた。昼の部の外題は「紺屋高尾」、虎順はインフルエンザに罹っていたが、懸命に「高尾太夫」を演じ、ラストショーでは「幡随院長兵衛」を「全身全霊」で踊り通した。その時の感想を、私は以下のように綴った。
《ラストショー、「旛随院長兵衛」役の虎順は孤軍奮闘の熱演、それを最後に、夜の部は欠場となった。本人はラーメンを食べ、「夜も出る」と頑張ったが、高熱には勝てず、服薬して静養中とのこと、倒れるまで全力を出し切った「役者魂」に拍手を贈りたい。夜の部の芝居は「仇討ち前夜・小金井堤」、座長を筆頭に、座員一同、「きちんと、いい仕事している」が、いつもとはどこか雰囲気が違う。役者も客も何か物足りない。虎順の抜けた穴がポッカリと空いてしまうのだ。日頃の「全力投球」の姿が見られない「寂しさ」がつきまとう。まだ芸未熟とはいえ、まさに誠心誠意、全力を尽くして舞台を務める彼の存在が、いかに劇団員・観客の覇気(モラール)を高めているか、その舞台を、活気のみなぎった、魅力的なものにしているか、を思い知らされる一幕ではあった。大衆演劇という劇団のチームワークが、役者同士の強い絆によって作られていることを、あらためて思い知らされた次第である。三代目虎順の、一日も早い回復を祈りつつ、帰路についた。》 そして10年後(平成30年)、突然、彼は「何の前触れもなく」この世を去った。いや、前触れはあったに違いない。もし、死因が「急性心筋梗塞」だったとすれば、かなりの痛み・苦しさを感じたはずである。発症から5時間以内に手を打たなければ(入院・手術など)危ないといわれている。私はかろうじて4時間以内に手術を受けることができたが、彼は「全身全霊」で《辛抱》を続けたのかもしれない。誠に惜しい人材を失った。
 でも、三代目・鹿島順一が残した「名場面」の数々が失われたわけではない。「私はテレビには出ません。大衆演劇の役者ですから」「今日は20人ものお客様が来てくださいました。ありがたいことです!」そうした言辞に加えて、芝居「武士道崩れ」「明治六年」「浜松情話」「木曽節三度笠」「女装男子」「月の浜町河岸」、舞踊「忠義桜」「蟹工船」「俵星玄蕃」などなど、彼でなければ描出できない名場面は、今もしっかりと私の脳裏に刻まれ、思い浮かべるだけで涙がわいてくるのだから・・・。
 ありがとう、虎順!いや三代目・鹿島順一。そういえば、いつごろからか、彼は、「パッと咲いて」(詞・麻こよみ、曲・美樹克彦、唄・岸千恵子)を踊るようになった。歌詞にいわく「どうせ人生 一回なんだから・・・」「どうせ死ぬ時 ひとりっきりだから・・・」、《パッと咲いて パッと散って チョイと人生 花ざかり》。その言葉どおり、三代目・鹿島順一の人生は、「花ざかり」のまま《チョイと》永遠に止まったのである。(2018.7.6)